災害、コロナ...知恵結集 全国市長会長退任・立谷秀清氏に聞く

「全国の市長の協力を得て何とか任期を全うすることができた」と感謝する立谷市長

 全国市長会長を退任した立谷秀清相馬市長は福島民友新聞社の取材に「この6年間は、全国の市長が団結して知恵を結集することの大切さを再認識し、実行した日々だった」と振り返った。(聞き手 社長・編集主幹 中川俊哉)

 ―退任に際して率直な感想は。
 「任期中は西日本豪雨、相馬市も被害を受けた東日本台風など豪雨災害が相次ぎ、山形県、熊本県、石川県など全国各地で地震も頻発した。異常気象の影響は目に見えるようになり、線状降水帯という耳慣れない言葉を聞く機会も増えてきた。そういった新しい環境に対して全国の市長たちが団結し、助け合うルール作りを進めた。一方で、新型コロナウイルス感染症への対応にも迫られた。さまざまなことがあった6年間だったが、全国の市長の協力を得て何とか任期を全うすることができた」

 ―就任してすぐ難題に直面した。
 「当時の安倍政権が幼児教育の無償化を打ち出し、地方の負担をどうするのか、という問題が出てきた。国が進める施策で、地方の負担が増えるのは間尺に合わない。無償化に要する諸費用は全額、国に持っていただきたいということを官邸で強く申し上げた。ただ、無償化のための費用を国が支援するといっても、方法としては地方交付税でその分上乗せするしかない。だが、全国の市には100前後の不交付団体があり、支援にばらつきが出る可能性があった。だから、そうした自治体にも納得してもらえる道を探る必要があった」

 ―災害対策を強化した理由は。
 「やはり東日本大震災での厳しい経験がベースになっている。それぞれの市で経験した災害の経験を共有し、全体に役立てようと防災対策特別委員会を設立した。被災自治体をバックアップする仕組みを作る一方で、災害時の国の実動部隊と言うべき地方整備局長と、被災自治体の首長が直接連絡を取り合うホットラインも構築した。こうした取り組みが効果を発揮したのは、2019年の山形県沖地震での鶴岡市への支援だった。地震発生から24時間で、おおよその支援の枠組みを整えることができた。特別委員長は大西一史熊本市長だ。過酷な熊本地震を経験した熊本市には、災害対応のエキスパートと言える職員がチームをつくっている。能登半島地震で、このチームは石川県の珠洲市に入って、支援に取り組んでいる」

 ―新型コロナウイルス感染症への対応では、特に何を重視したか。
 「ワクチン接種に関しては、地域間格差をどうやって縮小させるかということが課題だった。ワクチンの供給が遅いという問題もあって、接種の進捗(しんちょく)状況には、地域差がどうしても出てくる。それができるだけ起きないように努力した。情報共有も課題だった。中核市以上の市は、保健所があり、感染者の情報が入手できるが、ほとんどの市には保健所がない。情報がないから、たとえ誤ったうわさが出ていたとしても、市は否定することができなかった。だから、国から、保健所を設置する都道府県に対して市町村と情報をできるだけ共有してほしいという趣旨の文書を出してもらった。感染症が落ち着いた状況になった今思えば、全国の市長たちは難局に協力して立ち向かった。振り返ればこの6年間は、全国の市長が団結して知恵を結集することの大切さを再認識し、実行した日々だった」

© 福島民友新聞株式会社