羽織はかまで魂注入 「ザ・昭和」な高校応援部、私たち以外にもいますか?

羽織はかま姿で応援する国泰寺高の小林さん

 羽織はかまや学ラン姿の応援部って私たち以外にもいますか―。広島市中区の国泰寺高3年の小林芽衣さん(17)から編集局にこんな質問が届いた。活動する小林さんによると、他校の応援はチアリーディングばかり。羽織はかまで応援なんて古めかし過ぎる?

 4月中旬の同校グラウンド。集まった全校生徒の前に、げたを履いた羽織はかま姿の7人が現れた。和太鼓の音に合わせて、新入生へ「押忍(おす)」「おらまず1拍子」とエールを送る。気合いを入れて腕や足を振る様子はまるで空手の演武だ。

 小林さんは「『ザ・昭和』ってイメージだけど、魂が伝わる気がする。自分も応援されているように感じるんです」と強調する。入部後、新型コロナウイルスの影響により校外で活動する機会はほとんどなく、他校の応援部との交流もなかった。見かけたのはチアダンスの応援だけだ。

 そもそも国泰寺高は、なぜ羽織はかまや学ランがユニホームになったのか。部を創設した卒業生の金子俊介さん(77)に尋ねると、「バンカラに憧れてたからです」と教えてくれた。

 バンカラは明治期、流行を追うハイカラに対する造語として生まれた。辞書には「身なりや言動が粗野で荒々しいこと」とある。在学中の1960年代、大学の応援団に憧れて立ち上げた。はかまは剣道部に借りた即席。「わざと破ってくたびれさせた団長の学生帽子は次の団長に託す儀式もあった」と懐かしむ。

 そんな応援スタイルは時代と共に変化もした。「僕の頃はトレーナーでした。暑くて水をかぶって声を張っていた」と話すのは、広島県高野連理事長で県立広島商業高応援部だった田中裕之助さん(38)だ。

 2000年代、応援合戦をした他校もトレーナー姿だった。「新しい振りや服装を見つけてはまねする。はやりを追っかけてました」。そんな同校応援部は男子部員が今春ゼロに。チアの女子部員だけ活動している。

 そんな寂しい話ばかりじゃない。県内には最近復活した応援部もあった。福山市の盈進中・高だ。同校は1904年の創立間もなく応援部が誕生。約50年前から休部になっていたが、2022年に復活した。

 立役者は3月に卒業した大学1年の大塚みな美さん(18)=神奈川県藤沢市。創立記念式典で存在を知り、「どうせなら学校を代表する部活にしよう」と先輩と再始動した。運動部の応援だけではなく、定期テストや運動会の前には中庭でエールを送った。衣装は学ランやチアなど発表する舞台で使い分けている。このほか三津田高(呉市)にも学ランを着る応援部があった。羽織はかまで活動する学校は見つけられなかった。

 古風な応援はこのまま廃れていくのだろうか。大塚さんに聞くと「学ランでもチアでも応援する気持ちに違いはないので関係ない」ときっぱり。どんなスタイルでも「誰かを応援する」という思いは熱くて尊い。

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