「幸せなのに人生がつらかった」…思い悩む32歳女性が日本を飛び出しワーホリへ→“未知の世界“で気持ちがスッとラクになったワケ

周りから見れば恵まれているように見える。自分でも幸せだと思うのに、なぜだか生きるのがつらい…そんな女性は少なくないのではないでしょうか。まさにそんな状態に陥っていた美容師の鈴木彩さん(仮名)さんがオーストラリアのワーキングホリデーに行き、無我夢中で海外生活を送る中で様々な気づきがあったといいます。今回はその内容を、『安いニッポンからワーホリ!最低時給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(上阪徹著:東洋経済新報社)より再編集してご紹介します。

世界を見てみないと危ない、と漠然と思った

ワーホリでオーストラリアにやってきて2か月半が経った女性に話を聞いた。東京で美容師として仕事をしていた、鈴木彩さん(仮名・32歳)だ。ワーホリビザは、31歳の誕生日までに取得しないといけない。まさに、ギリギリの決断だった。

「本当は、海外が苦手なんです。ただ、約10年間、日本で社会人を経験して、これからの日本のこととか、自分のこととかを考えたとき、世界を見てみないと危ないな、と漠然と思ったんです。何が、というのは明確には言えないんですが、勘のようなものです。それで危機を感じて、海外が苦手だったけど、ちょっと出てみよう、と」

ワーホリを思い立ったのは、ワーホリを取り上げたテレビ番組だった。ただ、稼げることを魅力に感じたわけではまったくない。

「調べるとわかりますが、生活にはそれなりの費用がかかりますよね。また、ここに来る費用だって必要になります。おそらく、現地に来てみないとわからない費用もあるでしょう。それをざっくりとですけど自分で計算してみたら、1年間なら何もわざわざ海外に出なくても、私の場合は日本で美容師をしていたほうがいい、とわかっていましたから」

逆に、美容師がそれだけの価値のある仕事だということにも、改めて気がついた。だからこそ、海外に出てみようか、という気持ちにもなれた。

「報道には、報道の狙いがありますよね。取材を受けた人が伝えたかったこととは、違う言葉を切り取られている可能性もある。みんながみんなこんなはずがない、ということもそうですし、稼ぎに来ました、というセリフがあったとしても、それがすべてだと解釈してはいけないな、とも思いましたし」

最初から決めていたのは、1年で帰るということ。あくまで自分の生活の基盤は日本にある。

「人材の海外流出という話が報道の延長で言われたりします。いい人材が出ていってしまう、みたいな。でも、それは海外のほうが住みやすいとか、お金が稼げたり貯められたりするからだと言われているからですよね。となれば、海外の良いところを日本に持って帰ってこない限り、一向に日本は良くならないと思うわけです。だから、その両方が、善し悪しがわかる人間になりたいと思ったんです」

10年働いて社会人として中堅になったという自覚が、そうさせた。誰かのせいにしていても、いつまで経っても何も変わらないからだ。

「実際に生活すれば、いいことばかりでないこともわかる。でも、海外のいいところもある。だから、合わせて日本バージョンにしたらいいと思ったんです。日本にもいいところはたくさんあります。ただ、自国だけでいい暮らしができる時代だったらいいですが、そうはいかなくなっている。そこで、日本のやり方に海外のエッセンスをうまく取り入れられる人が増えればいいと思ったんです」

ぼんやりとした日本への不安。そして、新たな未来に貢献したい気持ち。こんなワーホリ動機もあるのだ。

周囲を気にするストレスから解放

それにしても、鈴木さんの場合、さすがは手に職、である。シドニーに着いて2週間ほどで、あっという間に仕事は決まった。日本人が経営する美容室だ。

とはいえ、お客の2割ほどが日本人で、残りは外国人だという。日本語で、さまざまな情報が発信されているサイト「JAMS.TV」で見つけた。

「日本でもいちおう、下調べはして、何件かピックアップしておきました。ただ、どんな店なのかは実際に見てみないとわかりませんから」

現地に着いて、実際に店の前を通って、お店の雰囲気はどうか、お客さまはどんな人かを見た。それで、ここだと思った店で面接を経て採用された。給与は2週間に一度、払われる。日本より額面は高いが、生活面を考えるとむしろ足りないと感じている。

「日本人ご夫婦の家の一室を借りることができましたが、それでも家賃は週に300豪ドルです。交通費もバカになりませんので、家から職場まで歩いて20分というのもありがたかった」

所属する店をどんどん変えていく人も多い美容業界だが、鈴木さんは新卒で採用された会社にずっと所属してきた。ワーホリは思い切った選択だったが、鈴木さんをよく知る人たちからは、思わぬ反応が来たという。

「長く続けてきたので、アシスタント時代からお世話になっているお客さまもたくさんいます。その方たちに、ワーホリに行ってみようと思います、と伝えると、『あ、なんかいいと思う』とたくさんの方に言われて」

コロナ禍明けで海外に行くなんて、日本人的感覚でどう思われるんだろうという思いもあったが、逆だった。「行ってきなよ。でも帰ってきてね」とプラスに受け止めてもらえたと語る。それは、うれしい出来事だった。

「実はワーホリという選択肢も何も決まっていないときが、一番つらかったんです。結婚するのか、しないのか。子どもを持つのか、持たないのか。この先どうなるのか、自分でもわかりませんが、これから生きていかないといけないという不安が正直、つらかった」

それは自分が恵まれていたということに、気づいていたからでもある。

ワーホリに「まったく行きたくない」人こそ参加すべきワケ

「実家もちゃんとあって、家族ともしっかりコミュニケーションが取れていて、十分過ぎるくらいに幸せだったんです。幸せ過ぎて、つらかったんですよ。漠然とした何もない人生っていうのも、案外しんどいんです。なんとなく先が見えているほうが、無我夢中で生きられなくなったりする。それは、つらいんです」

だが、思い切って一歩、大きく踏み出したら、すべては未知になった。

慣れない言葉を使い、必死に生きるしかなくなった。目の前のことを、それこそ無我夢中で一生懸命やるしかなくなった。

「ワーホリに行くと決めた時点で、準備やら何やら大変なことがたくさんありましたけど、『この先、どうするの?』がなくなったんです。『今はわからない。帰ってから考える』と言えるようになった。これ、とってもラクだったんです」

だから、鈴木さんは言う。ワーホリになんて行きたいともまったく思わない人にこそ、来てみてほしい、と。

「日本を出ることができたという事実だけでも、とても大事なことだと思うので」

1年経って、どんな思いを持っているか。その瞬間の気持ちを大事にしようと思っている。

上阪 徹

ブックライター

※本記事は『安いニッポンからワーホリ!最低自給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(東洋経済新報社)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。

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