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長崎県佐世保市で起きた小6女児同級生殺害事件から20年。同級生の森田耕平さん、事件後に6年生を担当した栗嵜和正さん、牧島啓晃さんが語り合った内容を紹介する。
-当時の6年生はどんな様子だったか。
栗嵜 日常を必死につないでいないと緊張の糸が途切れそうだった。赴任直後、家庭訪問に行ったが、家の中では急に泣き出す子もいるなど、保護者からは「普通でいられる状況ではなかった」と聞いていた。
牧島 どこにでもいるような子どもたち。でも話を聞くといろいろな悩みを抱えていた。子どもがいなくなって外に探しに行って公園で見つけたこともある。
森田 冷静に振る舞えるような状況ではなかったが、当たり前にしておかないと怒られると思っていた。
-6年生は2004年10月23、24日、同市の一大イベント「第7回YOSAKOIさせぼ祭り」にチーム「鵜己輝庵(ういきあん)」として出場した。そこからどう変わったか。
森田 佐世保でずっとやっているよさこいに出られたのは純粋にうれしかった。楽しいことに対する努力をしたので、きつさやしんどさは感じなかった。「感動賞は鵜己輝庵!」と言われたのもあり、楽しかった。
牧島 保護者にもよさこいを教えたのも懐かしい。よさこいがきっかけで各地のイベントにも呼ばれ、いいきっかけになったのでは。
栗嵜 2、3日で子どもたちはソーラン節を覚えてしまった。「この子たちはそれほどエネルギーを抑圧されていたんだ」と切羽詰まった美しさを感じた。世間の声も「まだ喪に服す期間ではないか」という批判的な意見から「大久保頑張れ」と変わり、子どもたちは自信を取り戻していった。
-事件から20年。今月1日はどんな風に過ごしたか。
森田 昼ごろ、娘を窓際に連れて行って「父ちゃんに付き合っておてんとうさんに手を合わせて」と言い、一緒に合掌した。
栗嵜 前日に大久保小へ行き、いこいの広場で手を合わせた。当日は普通に過ごした。被害者の命日だけど、何かの区切りではない。手を合わせているときに自分の運命を見つめて自分の使命を確認する日であってほしい。
-20年たち、子どもを取り巻く環境はどう変わったか。
牧島 小学生でも家庭で携帯電話やインターネットを使うのが当たり前になった。道具は便利だけど、危ない面も伝えていくのを大事にしたい。
栗嵜 今や子どもが一人一人タブレットを持っている時代。善悪の判断もまだできていないのに。おかしな方向に進んでいく可能性が十分にある。あの時私たちは人との関わりの中で相手の様子を見て息遣いを感じながら話す良さを学ぶ必要があったのではないか。子どもたちには厳しさと優しさを人との関わりで学んでほしい。