死を待つだけの悲しい境遇の老犬…保護して芽生えた「看取りの心」【杉本彩のEva通信】

従姉妹が看取ることを決めた保護犬の「大福」

「動物たちを助けたい」 「動物たちを守るために何かしたい」 そんな動物愛護の気持ちが芽生えるきっかけはさまざまだ。たとえば、たまたま道端にいた仔猫と遭遇し、見て見ぬふりができず手を差し伸べたことがきっかけとなることもある。あるいは、人間の都合で殺処分される犬猫がいるという悲しい事実に、強い同情心を抱いたことがきっかけとなる場合もあるだろう。いずれにしても、動物保護や啓発活動を実際に行う人の多くは、激しく心を突き動かされる何かきっかけがあるものだ。

また、愛犬・愛猫との暮らしの中で、動物たちが人に向ける愛情や信頼に触れ、命の重みや尊さを実感した時、自分の犬や猫だけの幸せではなく、すべての犬猫、すべての動物、そしてすべての命へと、その愛はどんどん大きく、深まっていくことがある。

保護犬・保護猫という言葉が浸透してきた近年では、「私にも何かできることはないか?」 と言ってくださる方や、実際、何らかの動物愛護活動に携わる人も増えたと感じる。また、動物愛護精神が豊かなのは、動物と暮らしている人だけではない。動物と暮らしたくても、仕事で出張が多かったり、生活環境が動物にとって幸せなのかと考えた時、動物のためにあえて動物を飼わないという選択もまた、愛があるからだ。そして、その気持ちが動物愛護活動に向けられることもあれば、活動を支えるために寄附という形で貢献している方もいる。

きっかけは「利益を生まない犬」との出会い

私の身近にも、動物愛護の精神が徐々に高まり、今では熱い思いを胸に抱くようになった人がいる。私のプライベートで最も近くにいる存在の従姉妹である。従姉妹は、11年程前から、私が仕事で留守中の時、私に代わって動物たちの世話やさまざまなサポートをしてくれている。私が愛犬や愛猫に注ぐ愛情と、彼らが私に与えてくれる幸せを一番近くで見てきた。いつしか、保護犬や保護猫と暮らしたいという気持ちが芽生え、10年前に2歳のポメラニアンの犬を迎えた。その犬は、ペットショップで 「里親募集」 と表示され、ショーケースに展示されていた。

肉体的に両性をもって生まれてきたため、繁殖には向かないという理由で、ブリーダーのところから里親を探すためやって来た。ペットショップと取引きのあるブリーダーなのだろう。営業しているブリーダーから引き取られた子なので保護犬ではない。そのため、当時は手放しに喜べる縁ではなかったが、その頃の従姉妹は、まだペット流通の問題を知らなかった。「犬が見たい」 と娘にせがまれて、たまたま入ったペットショップで出会ったのだ。ブリーダーからすれば、繁殖犬にすることもできない、とは言え販売することもできない欠陥商品のようなものだ。利益を生まない犬は経費がかかるだけなので、誰かに押し付けたい。繁殖犬に不向きだったことが幸いし、温かい家庭に迎えられ、幸せを掴むことができたことは、その子にとっては幸運なことだった。

盲目の15歳のパピヨンを迎え入れ

その子はマロンと名付けられ、家族皆から愛されている。胃腸が弱かったり、慢性的に皮膚疾患を抱えていたり、常に細やかなケアを必要とするが、従姉妹は惜しみなく愛情を注いできた。毎日ごはんは手作りで、市販のドライフードを購入する時もその内容には細心の注意を払い、溢れんばかりの愛情でマロンを育ててきた。そんなマロンもあっという間に13歳になろうとしている。まだまだ元気だが、いつか訪れる別れの日を想像し、その日を恐れ、涙していることがある。私が経験してきた愛犬や愛猫との数々の別れをそばで見てきた従姉妹は、「私には無理だ」 と弱音を吐くことがある。いつか訪れるマロンとの別れを考えると、乗り越えられるのだろうか、と私のほうが不安になるくらいだ。

けれど、そんな従姉妹が、今年の3月に動物愛護センターから15歳のパピヨン犬を迎えた。いつか保護犬を迎えたいという願いをようやく叶えたのだ。きっかけは、私が京都動物愛護センターにいた高齢のパピヨン犬の話しをしたことだった。15歳よりはるかに高齢に見えたのは、今までの生活環境や栄養状態が悪かったせいか、白内障が進行し盲目だったからだろう。そのため、散歩することもできず、犬舎の中でずっとうずくまっていた。

足腰も衰えていて、しっかり踏ん張って立つことができない。立っていると、筋力不足のせいでどんどん脚が外に開いてしまう。去勢もされておらず陰部は赤くただれて腫れており、毛はハサミでざんばらに切られているようだ。歯はほとんどなく、そのすき間から舌が出てしまう。本来パピヨン犬が持つ優雅な毛並みも高貴な雰囲気もすっかり失われ、飼い主から大切にされていなかったことが窺えた。

死を待つだけの悲しい境遇

後々気付いたことだが、一度だけ吠えようとしたことがあるようで、声が出ないそうだ。声帯が切られているのではないかと想像する。あくまでも推測だが、去勢されていないことも鑑みると、もしかしたら繁殖事業者の犬だったのかもしれない。一般飼い主だと偽ってセンターに持ち込むことも充分に考えられるからだ。

とにかく、とても胸が痛んだのは、センターの犬舎の中で、死を待つしかないという悲しい運命を容易に想像できたことだ。盲目の犬の世話は大変な上、15歳という年齢。排泄についてもオムツが必要で手がかかることは必至だ。

私が看取る…里親としての決意

私は、センターに入ってまだ間もないこのパピヨン犬について、いろいろ思いをめぐらせたことを従姉妹に話した。夜は人がいなくなる行政のセンターで、介護が必要な犬にしてあげられることには限界がある。どんな最期を迎えるのか、それを思うと、とても胸が痛んだ、と。すると、従姉妹から思いもよらない答えが返ってきた。「私がその子を看取りたい」 と。とても強いまっすぐな視線で、その言葉には何の迷いもなかった。

その後、家族の同意を得て、従姉妹はセンターを何度も訪ね、正式譲渡となり、15歳のパピヨン犬の里親になった。これからたくさんの幸せが訪れるように、幸せとは無縁であったろう年月を取り戻せるくらい福が来ることを願い、「大福」 と名づけられた。

愛犬を看取るのが怖い、別れの悲しみを乗り越える自信がないといつも泣いていた従姉妹が、近い将来看取らなければならない犬を迎えるという、心の変化には驚いた。おそらく、3月に旅立った私の愛猫クロを、従姉妹が一人で看取ってくれた、その経験からだと感じている。看取りという、その命が終わる瞬間に、彼女は初めて立ち合った。私が東京で仕事を終え、その報告を受けたのは新幹線の中。泣きながら連絡があり、私が京都の自宅に戻った時には、従姉妹はふらふらの放心状態。心と体からすべての力が奪われてしまったように見えた。けれど、とても大切な、とても重大な役目を果たせたという、悲しみの中にあっても、自分を信じる気持ちが生まれたようにも感じた。

「死」と向き合う覚悟

動物保護活動の中でも、里親への譲渡が難しい高齢や重い疾患がある時、保護した人や団体が看取ることになる。それを専門的に行う希少な団体の存在も知っている。里親になるという選択においても、「看取り」 を前提とするのは簡単なことではない。「死」 と向き合うというのは、とてもエネルギーを必要とする。心の痛みを伴うし、自らの力の限界を感じたり、日々、心が動かされるものだ。

従姉妹が大福を迎えてから間もなく3ヶ月になる。体に染み付いた獣臭も消え、表情もすっかり明るくなり、弱っていた足腰は見違えるほどしっかり立てるようになった。痩せて浮き出ていた肋骨も見えないくらいになっている。手作りの美味しいゴハンに変わり、食欲も増したようだ。ゴハンの時間になると、料理している匂いに食欲がそそられるのだろう。尻尾をピンと立てて、空中の匂いを嗅ごうと鼻をクンクンさせる。センターでは食欲にムラがあり、よく残すこともあったそうだが、環境が変わり愛情たっぷりの美味しいゴハンが出てくれば、食欲も増し、すごい勢いで食べる。

美味しいという食べる喜びを感じるのは、動物も同じ。食事が変わり、日々のお手入れで毛艶もよくなり、今では家族を見分けることもでき、最近は甘えるようになって、撫でてほしいと催促までする。大福の体には、まだまだ過酷だった長年の影響が残っているが、少しでも快適に暮らせるよう、従姉妹はさまざまな工夫を凝らし、毎日全力で奮闘している。そんな彼女の尊い選択と行動に、私は心から敬意を感じる。そう遠くない将来の、大福との別れを考え、毎日その悲しみの感情と戦っているようだが、少しずつ変化する大福の姿に、この上ない喜びも感じているようだ。未来の別れを想像しすぐに涙をこぼすが、私は、その愛が人を強くすることも知っている。だから、きっと大丈夫、その日が来るまで、ただただ全力で愛せばいい。そして、いつかその時が来たら、その悲しみにとことん寄り添ってあげたいと思う。(Eva代表理事 杉本彩)

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 杉本彩さんと動物環境・福祉協会Evaのスタッフによるコラム。犬や猫などペットを巡る環境に加え、展示動物や産業動物などの問題に迫ります。動物福祉の視点から人と動物が幸せに共生できる社会の実現について考えます。

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