【名馬列伝】ハーツクライ、ゼンノロブロイら牡馬勢をねじ伏せ39年ぶりの偉業を果たしたスイープトウショウ。名門牧場の底力を示した個性派名牝の生涯

GⅠレース3勝を挙げながら、静かに忘れ去られようとしている1頭の名牝がいる。2004年の秋華賞、05年の宝塚記念、エリザベス女王杯などを制したスイープトウショウがその馬だ。

スイープトウショウが生まれたトウショウ牧場は、フジタ工業(現「フジタ」)の副社長で、のちに参院議員となる藤田正明が開いた競走馬の生産牧場。その名は藤田の姓名からひと文字ずつ取り、「藤」(トウ)と「正」(ショウ)を組み合わせて「トウショウ」牧場と名付けられたものだ。

藤田は知人に勧められて購買したアラブの「トウショウ」で重賞のアラブ王冠を制し、以来、深く競馬に深くコミットするようになる。北海道・静内町の奥深い原野を開墾して牧場の開場にまで至ったことが、その熱意の深さを示している。牧場を開場し、ブリーディングオーナー(和製英語では「オーナーブリーダー」と呼ばれる)となってから、所有馬の名には「トウショウ」の冠号が用いられた。
トウショウ牧場を開くにあたって、藤田は牧場の基礎牝馬とするに足る馬を米国で購買、輸入する。名をソシアルバターフライというその牝馬は当時のリーディングサイアー、テスコボーイと交配され、のちにその美しく華麗な馬体とフォームから「天馬」と呼ばれるトウショウボーイを産む。

トウショウボーイは皐月賞、有馬記念、宝塚記念などを制し、種牡馬入りしてからは三冠馬ミスターシービーなど数々の重賞勝ち馬を出して大成功。一気にトウショウ牧場の名を高め、同時に母ソシアルバターフライの名を広めることになった。彼女は生涯に4頭の重賞勝ち馬を送り出し、藤田の思惑通りに牧場の基礎牝馬となり、その血脈に連なる馬たちは「ソシアルバターフライ系」と呼ばれ、日本を代表する名牝系となった。

トウショウボーイが種牡馬入りしてからトウショウ牧場は積極的に彼を種付けしたが、
なかなか活躍馬が現れなかった。しかし牧場が所有する日本在来の名牝系である「シラオキ系」に連なるコーニストウショウ(父ダンディルート)がついに牧場最良の産駒、のちに桜花賞馬となるシスタートウショウを生み出した。ちなみに、ダンディルートも藤田が輸入したフランス産種牡馬である。

その後、トウショウ牧場はソシアルバターフライ系の血に拘りすぎるあまり、血統の更新が遅れるなど、成績は次第に下降していくのだが、やはりトウショウ牧場が守った「セヴァイン系」から久々に活躍馬が生まれる。父にエンドスウィープを持つ牝馬、スイープトウショウである。 エンドスウィープは、米国の大種牡馬ミスタープロスペクター(Mr. Prospector)系に連なる名馬・名種牡馬フォーティナイナーの直仔。日本に繋養されたものの、転倒による怪我が悪化して急逝したため、わずか3世代しか産駒を残していないが、その中から活躍馬が続出した。ラインクラフト(05年桜花賞、NHKマイルカップ)、アドマイヤムーン(07年ドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンカップ)などに先んじて活躍したのが、今回取り上げるスイープトウショウだった。

それだけにとどまらず、米国から輸入した産駒のサウスヴィグラス(03年JBCスプリント)は競走馬としても種牡馬としても大成功を収め、それを受けて米国に残した活躍馬のスウェプトオーヴァーボード(GⅠ馬のレッドファルクス、オメガパフュームの父)が種牡馬として輸入されている。
前置きが長くなったが、スイープトウショウの話に入ろう。

トウショウ牧場時代から能力の高さを評価されていたが、気性の難しさが憂慮された。気分が向かないと厩舎から出ようとせず、放牧されても他の馬を威圧する女王様気質だったからだ。

その気質は競走馬としてデビューしてからも、彼女のキャリアに大きな影を落とす。しばしば馬房から出ることを拒否したり、調教に向かっても立ち止まってコースに入ろうとしなかったりと、厩舎スタッフを困らせた。またレースに行っても、何度もゲート入りをむずかったため、たびたびゲート試験の処分を受けている。ゲート入りの悪さは延々と付きまとい、枠入り不良でスタート時刻を2~4分遅らせたことで、4度もの処分を受け、最長で30日の出走停止を申し渡されたほどだった。

そうした気性難を宿しながらも、彼女のきょうだいを預かってきた調教師・渡辺栄(栗東)の巧みな調教法は、「彼女の意志に逆らわない」というスタンスで接することによって意外な安定感を見せる(※渡辺栄の定年引退により、03年1月23日付けで彼女は同門の鶴留明雄厩舎へ転厩する)。05年の毎日王冠(6着)と06年の有馬記念(10着)で惨敗した以外は常に掲示板に載り続け、生涯成績は24戦8勝〔8・4・2・10〕という優れた記録を残した。 彼女はデビューから2戦連続で圧勝したころから大きな注目を集め、チューリップ賞(GⅢ)を制したことから桜花賞(GⅠ)でも2番人気に推されるほどだった(結果は5着)。続くオークスでも4番人気に推され、逃げ切ったダイワエルシエーロを強烈な末脚を駆使して追い込み、3/4馬身差に迫る2着に健闘した。

2004年の秋、初戦のローズステークス(GⅡ)を3着としたスイープトウショウは、続く秋華賞(GⅠ)では後方集団から1頭だけ他の17頭とはまったく違う爆発的な末脚を繰り出し、先に抜け出したヤマニンシュクルを捉えると半馬身差で優勝。ついにGⅠウィナーの仲間入りを果たし、ファンに名門トウショウ牧場の底力を再認識させた。

翌春は、単勝1番人気で出走した都大路ステークス(OP)で5着に敗れるが、10番人気と評価を落とした安田記念(GⅠ)では、またも驚異的な末脚を繰り出して、アサクサデンエンにクビ差の2着に激走。牡馬相手にも引けを取らない能力の高さを示すと、続いては宝塚記念(GⅠ)へと駒を進める。

タップダンスシチー、ハーツクライ、ゼンノロブロイ、スティルインラブ、アドマイヤグルーヴら、牡牝のトップホースが顔を揃えたこの一戦。いつもより前目の8番手を進んだ11番人気のスイープトウショウは、第3コーナーから馬群の外から位置を押し上げ、絶好の手応えで直線へ向く。そして、鞍上の池添謙一からのゴーサインを受けると力強くスパート。先に抜け出したリンカーンを捉えると、激しく追い込むハーツクライ(2着)とゼンノロブロイ(3着)を抑え切り、クビ差で勝利を掴んだ。単勝オッズは38.5倍の波乱を起こすとともに、エイトクラウン以来39年ぶり、史上2頭目の牝馬による宝塚記念勝利という快挙を成し遂げたのだった。
スイープトウショウはその後も好走を続け、翌年の秋には自慢の強力な末脚の切れを活かしてエリザベス女王杯(GⅠ)を制覇。宝塚記念での激走がフロックではないことを証明し、翌年の本レースで2着、同じく翌々年は3着と活躍を続け、それを最後に引退。繁殖牝馬としてトウショウ牧場へと帰還した。

残念なことにトウショウ牧場はそのあと目立った活躍馬を出せないまま、馬主登録は残しつつ、15年に閉鎖。スイープトウショウら繁殖牝馬はノーザンファームに売却された。そして、稀代の悪癖を有する名馬として一世を風靡した彼女は20年、腸捻転を起こして19歳で急死。名門牧場が送り出した誉とともに生涯を閉じたのだった。

このあと、日本競馬は「牝馬の時代」と呼ばれるほどに牡馬を相手に互角以上の成績を残す馬が増えた。しかしスイープトウショウは、その波の中に埋没させるのはあまりに惜しい個性派の名馬である。(文中敬称略)

文●三好達彦

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