ルイ・ロブション「自分の父親が有名な料理人だということは分かっていました」“フレンチの皇帝”の息子が大学卒業後に理解した父の偉大さ

ルイ・ロブション 撮影/初沢亜利

“フレンチの皇帝”の異名を持つのは故ジョエル・ロブション(1945年~2018年)。その息子であるルイ・ロブション氏が、表参道にショコラ専門店『Eclat de Chocolat Louis Robuchon(エクラ ドゥ ショコラ ルイ・ロブション)』を今年3月にオープン。⽗ジョエルも手掛けなかったショコラトリーオープンの夢を叶え、「ショコラといえばルイ・ロブション」と認識されるべく、全く新しい道を切り開いている。王道ショコラから⽇本各地の厳選した和素材を使用したショコラ、まるでフレンチのフルコースを食べているかのような美食体験ができる“ガストロノミック”なショコラまで、食べた者を魅了する様々な味を展開するルイ氏のショコラ。そんなルイ氏が歩んできた人生の変化、THE CHANGEとは――。【第1回/全3回】

料理にさほど関心がない人でも、ジョエル・ロブションの名を聞いたことはあるだろう。 世界の主要都市を訪ね歩く美食家にとって道しるべでもあるミシュランガイド。ホテルやレストランの来店客数にまでも影響を与えると言われる、1900年発行の権威あるガイドブック本の歴史の中で、最も多くの星を獲得したシェフとして知られる人物だ。同氏の名前を冠した店舗は世界10か国以上に存在。これまで30個以上の星を獲得した、“フレンチの皇帝”にして、20世紀を代表する料理界の巨匠である。

その皇帝のDNAを受け継ぐルイ・ロブション氏が、今年3月、表参道にショコラ専門店『Eclat de Chocolat Louis Robuchon(エクラ ドゥ ショコラ ルイ・ロブション)』をオープンした。

フレンチの皇帝として知られる父とは異なり、スイーツの世界を主戦場に選んだルイ氏。そんなルイ氏の母は福岡出身の日本人女性だ。ルイ氏自身も慶應義塾大学を卒業しており、幼少期から夏休みには毎年日本への里帰り旅行を繰り返してきたという。“フレンチの皇帝”の息子が、そのルーツを日本に持つことは、あまり知られていないかもしれない。幼少期を振り返り、懐かしそうにルイ氏が口を開く。

「自分の父親が有名な料理人だということは分かっていましたが、どれほどすごい料理人なのかは、子どもの頃は実感していなかったです。その偉大さを理解したのは、大学を卒業し、自分が働き出してからですね」

フランスと日本をつなげるような仕事をしたい

父親であるジョエル・ロブションは、家族やプライベートについて公の場では語らない人。1995年に発刊された『ロブション自伝』(中央公論新社)の中でも、自身の家族については触れていない。一方、料理に対する情熱や、日本ひいきとも言える日本への愛は隠そうとしなかったという。

「父は多忙を極める人だったので、共に過ごす時間は限られていましたが、仕事のことはあまり話したがらない人でした。ただ、料理人の片鱗というか、一緒に外食へ行くと、突然顔が変わって料理モードになる時がありましたね(笑)」

6歳から18歳までをフランスで過ごしたルイ氏。そんな家庭の食卓には、フランスの家庭料理に加え、母が作る和食も並んだという。「私も和食が大好き」。そう笑うルイ氏が、日本に関心を抱いたのは必然だったのかもしれない。

「フランスと日本、どちらの大学に行くか迷ったのですが、東京で暮らしてみたかった。私はフランスと日本をつなげるような仕事をしたいと考えていました。そのためにも、より日本を知りたかった。ただ……父からは、“料理人にはなるな”と言われていました」

ジョエル・ロブションは、フレンチの世界で頭角を現すと、1981年にオーナーシェフとしてパリに『ジャマン』をオープンする。 開業1年でミシュランの1ツ星を獲得すると、翌年には2ツ星。さらに翌年、ついに3ツ星を与えられる。3年で3ツ星までたどり着くのは、前代未聞の出来事だった。

だが、ミシュランの星をどれだけ獲得しても、ジョエル氏は決して傲慢になることはなかったという。「完璧主義を求める厳しい料理人だったとお聞きします」とルイ氏に水を向けると、「料理には厳しい人でした」とルイ氏もうなづく。常に評価される仕事――。料理の世界の厳しさを知っているからこそ、息子には「同じ道を歩んで欲しくなかった」のかもしれない。

「大学在学中には、ワインスクールへと通い、ワインの勉強をしました。フランスには、まだ世に知られていない素晴らしいワインがたくさんあったので、日本に広げられたらと思っていましたね。就職活動もして、商社とか一般企業を2~3社受けたのですが、どこもしっくりこなくて(苦笑)。だったら、自分がやりがいを感じるワインの輸出入事業を、独自に展開した方が面白いと思ったんですね」

大学時代に日本各地の酒蔵を周った

2012年、慶應義塾大学を卒業すると、ルイ氏はワインと日本酒の輸出入を中心とした商社を、自身の手で創業する。

「大学時代、日本全国の酒蔵を周ることもしていました。フランスにまだまだ知られていない良質なワインがあるように、日本にもたくさんの優れたお酒があることを知りました。
ワインは世界中でその存在が知られていますが、当時は日本酒の知名度は今ほどではない。たとえば、パリのミシュランの星付きレストランのソムリエに日本酒を飲んでもらうと、“このお酒のブドウの品種を教えてくれ”なんて聞かれるくらい(笑)。日本酒がお米で作られていることも知らないんですね。もっとたくさんの人に魅力を知ってほしいと思い、事業を立ち上げました」

ルイ氏の挑戦は、既存の価値観、フレンチ料理へのCHANGEでもあった。フランスに日本酒を提案し、新たなペアリングを実現させる。事業は好調、この先も好きなことをしていくつもりだった。父であるジョエル・ロブションが急逝するまでは――。

ルイ・ロブション
父親は世界で最も多くミシュランの星を持つ有名シェフとして知られるジョエル・ロブション、母親は博多出身の日本人で、フランスと日本の両国にルーツを持つ。慶應義塾大学を卒業後、2012年にワインと日本酒の輸出入を中心とした商社を創業、10年間代表取締役を務めた(現在は退任)。2019年、フランスに本社を置くジョエル・ロブション・グループの共同代表に就任。2023年4月、自身の名前を冠したスイーツショップ「Pâtisserie La Gare by Louis Robuchon」を兵庫県・芦屋に初プロデュース。2024年3月、初のショコラトリー『Éclat de Chocolat Louis Robuchon』を表参道にオープン。

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