【6月16日付編集日記】鶴ケ城の恩人

 いまの時期、会津若松市の中心街ではメモ帳やノートを手にして歩く小中学生をよく見かける。修学旅行の子どもたちだ。人気のスポットはもちろん鶴ケ城。幕末の悲劇の舞台を訪れ、子どもたちは歴史への関心を高めているようだ

 ▼明治に入り、各地で城の取り壊しが始まり、跡地は民間に払い下げとなった。鶴ケ城も同じ危機にさらされた。政府が没収した鶴ケ城を競売にかけたためだ。その窮地を救ったのが、元会津藩士の遠藤敬止(けいし)だった

 ▼戊辰戦争を生き抜いた遠藤は、第七十七銀行の頭取を務めるなど宮城経済界の名士となった。鶴ケ城が払い下げられることを知り、「幾千の魂魄(こんぱく)をとどめた古戦場を保存し、千古に伝うべし」と現在の数億円に当たる私財を投じて落札し、旧主松平家に献納した

 ▼遠藤の没後120年の命日だったきのう、仙台市の寺で法要が執り行われた。会津からも顕彰会の会員らが参列し、鶴ケ城の恩人に深い感謝をささげた

 ▼鶴ケ城は県内有数の観光資源だ。一方で地元保存会からは堀の清掃や、老木となった桜の植え替えなど課題が指摘されている。地域のシンボルを千古に伝えるための知恵を絞り、先人からのバトンを大切につないでいかなければ。

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