ワンオペが続き、産後うつに。気がついたらベランダで「今死んでもなんにも感じないな」と思った私。産後ケアホテルを探したけれど…【体験談】

●写真は産後ホテルのイメージです(写真提供Cocokara)

産後、ママの心身のケアと育児全般の相談を助産師さんや保健師さんなどの専門家がサポートしてくれる、産後ケアが全国的に広がっています。そのなかの一つとして「産後ケアホテル」があります。ホテルに宿泊しながら、託児や育児相談、指導などが受けられるというもの。ホテルという空間で、パパも宿泊でき、夫婦が心身ともにリフレッシュできるメリットがあります。

自身が初めての育児を経験し、産後うつの状態になってその必要性を痛感したことから、開業しようと立ち上がった高橋奈美さん。起業のきっかけとその道のり、これからの展望について2回にわたって聞きました。今回はその1回目です。

「つわり いつ終わる」ネットで調べ続けた妊娠初期

出産は4時間の安産でした

――妊娠がわかってからの妊娠生活について教えてください。

高橋さん(以下敬称略) 妊娠は、結婚式の1週間前に判明しました。早く授かりたい、ということもなく、自然にまかせて…です。
それからつわりが始まり、ほんの少しのにおいの変化で気持ち悪くなって…。たとえば、部屋を出て、廊下のにおいが違うともうダメでしたね。ほとんど食事がとれない時期もありました。
この状態がいつまで続くんだろう…と不安で、常に「つわり いつ終わる」とネットで調べていました。

――実際はいつごろ終わったのでしょう?

高橋 安定期に入ったころから徐々に落ち着いてきて…ホッとしました。それからの妊娠経過はとくに問題なかったです。
同時期に、高校時代の友人も何人か妊娠したので、おなかの中にいるときから幼なじみだね、なんて話をしたり。ただ、新型コロナウイルス感染症の流行と重なっていたので、頻繁に会うことはできなくて。
産院の両親学級もなくなり、お産のこと、育児のことはネットやインスタグラム、You Tubeで情報を得ていました。

――コロナ禍で制限があったときですね。お産の準備に不安はありませんでしたか?

高橋 陣痛を乗りきる方法や、呼吸法を、予習しようと思ったんですけど、調べれば調べるほど、お産が怖くなってしまって…。どうなるのかわからないけれど、助産師さんのアドバイスと流れにまかせようと、検索はやめました。

――お産はどうでしたか?

高橋 通っていた産院では、家族のみ1名なら立ち会いができたので、夫が立ち会いました。
陣痛が始まって、入院して4時間の出産で、終わってみたら安産で。
「おなかが軽くなった~、赤ちゃんってこんなに小さいんだ!」というのがまず感じたこと。
自分の一人称を「ママ」にすることが恥ずかしいというか、すぐには切り替わらなかったですね。
あと、安産だったということもあったので、自分では動けるぞ!と思って、立ち上がろうとしたら、ふらついたんです。思ったより産後の体はダメージを受けていること、気持ちと体にギャップがあることに驚きました。

いつも寝不足でワンオペ育児…ゆっくり休みたい―心身ともに疲弊

赤ちゃんはかわいいけれど、授乳で夜寝られない日々…

――退院後の生活、育児について教えてください。

高橋 退院後は、私の実家に3週間くらい里帰りしました。自宅から近いので、夫も週に2回ぐらい来ていて。基本的に、両親は食事の用意や洗濯をして、お世話は私がやるというスタイル。お世話以外しなくていいのは助かったんですけど、授乳で夜寝られないのは大変でした。
里帰り中にお世話に慣れても、自宅に戻れば、それまで両親がしてくれた家事をしなくてはならないので、結局、負担が増える感じでしたね。育児の悩みも、解消したと思うと、子どもの成長と一緒に、また別の心配が出てきて…。

娘が生後5、6カ月くらいのころ、寝返りをし始めて、うつぶせのままにならないようにと夜中もずっと注意を払っていたので、ほとんど寝られなくなってしまったんです。
当時、夫は自分の事業を始めたばかりでとても忙しく、出張続き。それでも、できることはやっていたので、これ以上負担をかけてはいけない、と私が抱え込んでしまったところもありました。
常に睡眠不足でワンオペ育児。つらさが積み重なって、だんだんと何も考えられなくなっていきました。

――友人や専門家に相談したり、悩みを打ち明けることは?

高橋 友人とは、コロナ禍で会えないながらも連絡は取り合って、お互いに励まし合ったりしていたんですけど、やっぱり、忙しいとわかっていたし、心配かけたくないな、と遠慮してしまって…。近しい人にほど、弱い部分を見せられないって思いこんでいたところもありました。
自治体の健診でも「こんなこと相談していいのかな、もっと大変でも頑張っている人いるだろうしな」と思って、言い出せずにいましたね。

――とても一生懸命で、それゆえに孤立してしまった印象があります。

高橋 何もかもに意欲がなくなって、子どもが泣いている中、音も聞こえない、声も出せない、立てない、という日もありました。
冬の夜、気がついたらベランダに突っ立っていて、今死んでもなんにも感じないな、と。それぐらい無気力になってしまったんです。

札幌市の産後ケア事業を受けようともしました。調べてみると、行なっている施設のほとんどが助産院。普通の自宅のような場所で、一つ屋根の下、助産師さんと寝食を共にするスタイルは、私の場合はかえって気を使ってしまいそうだな、とちゅうちょしてしまって。当時は育児のアドバイスを聞き入れる気力もなかったし…。自分の心身のためには利用すべきだったのかもしれないですけど、とにかく、何も考えずゆっくり休みたい、という気持ちだったんです。

そんなとき、たまたま、産後ケアホテルを利用した人のブログを見つけて…。
24時間いつでも赤ちゃんを預けることができて、マッサージも受けていて。こういう雰囲気、サービス、スタッフとの距離感だったら利用してみたい!と思ったんです。それで、北海道内にないか調べたら、なかった。
だったら、私が作る!とスイッチが入りました。

起業への夢と、共感の声が心身回復の助けに

高橋さん(左)と助産師の荒木さん(右)

――高橋さんご自身が、産後ケアホテルの必要性を実感したんですね。

高橋 作りたい!という一心で、2022年の4月、インスタグラムに自分の思いと「産後ケアホテルを札幌に作りたいんです。かなえるために協力してくださる方がいたらDM(ダイレクトメッセージ)ください」と投稿しました。
私のインスタは、よくある育児アカウントでフォロワーも数十人というもの。それが、すごい反響で一気に何百人と増え、DMも200件くらい届いて。
私と同じように、育児で悩んで、ケアを求めているママがたくさんいるのがわかって。同時に、ママを応援する活動をしている方が、札幌にたくさんいることも知ることができましたね。
そこから、少しずつ発信を始め、今一緒に運営をしている助産師の荒木に出会い、本格的に開業に向けて活動をスタートしました。

――それまでのうつ状態は、かなり深刻だったと思いますが、開業の夢を持つことで変化があったのでしょうか。

高橋 本当だったら、どこかに相談してカウンセリングを受けるべきだったと思います。でも、自発的に相談に行こうと考える余裕が正直なかった…。産後うつは周囲のフォローが大切だといわれますが実際そのとおりだと、当時を振り返ってみて強く感じます。

自分がつらい思いを経験して、周囲に気づかれず手遅れになってしまわないように、ママが救われる場所を作れたら…という思いと、それに賛同してくれる人がたくさんいる、ということが、私の気力になって、活動を始めてから徐々に前向きになりました。それは幸いだったと思います。

取材・文/ムトウハルコ、たまひよONLINE編集部

多くのママのニーズを感じ、産後ケアホテル開業という夢への第一歩を踏み出した高橋さん。第2回のインタビューでは、その奮闘と現在の活動についてうかがいました。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。

高橋奈美さん

PROFILE

産前産後ケアホテル Cocokara代表
2021年に1人目を出産。ワンオペ育児により、産後うつを経験。その経験から産後ケアホテル立ち上げを決意し、活動を開始。副代表を務める助産師の荒木美里さんとともに、札幌市内で産後ケアホテルの常設をめざす。

© 株式会社ベネッセコーポレーション