小林幸子が芸能生活60周年「これからも面白いことをたくさん考えています」

ささやかに「芸能生活60周年記念祝賀会」を行った小林幸子

芸能生活60周年を迎えた歌手の小林幸子(70)が16日、東京・虎ノ門のオークラ東京メイプルルームで「芸能生活60周年記念祝賀会」を行った。今年の元日に発生した令和6年能登半島地震の被災者がいまだ多くいる中で「大規模なお祝い事は控えたい」と小林は思ったというが、周囲からの声援に「小林幸子にとっての60年。どれほど大変だったとしても、歌と笑顔を届け続けていく思いを伝えていければ」と、規模を縮小しての祝賀会となった。

小林は小学4年(1963年)の時、のど自慢番組「歌まね読本」(TBS)に出場し、グランドチャンピオンを獲得したの芸能界入りのキッカケだった。「審査委員長だった古賀政男先生にお声をかけていただいたのがキッカケでした。私にとって人生を変えてくださった偉大な先生です」。

1964年、10歳の時にシングル「ウソツキ鴎」でデビューしたが、転機を迎えたのは1979年に発売した通算28枚目のシングル「おもいで酒」だった。有線放送から徐々に知名度がアップし、同曲は200万枚を超える大ヒット作品となり、その年の全日本有線放送大賞でグランプリ、第21回日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を受賞、さらに第30回NHK紅白歌合戦に初出場した。その後も「とまり木」(80年)や作曲家の美樹克彦とデュエットした「もしかしてPart Ⅱ」、そして「雪椿」など連続してミリオンヒットを成し遂げた。

6月5日に芸能生活60周年を迎えたが、豪華な衣装の展開もあって、ネット上では演歌歌手というより〝ラスボス〟の愛称でも幅広い層から親しまれている。最近では人気漫画「鬼滅の刃」のラスボスの鬼舞辻無惨のコスプレ姿なども披露した。「演歌歌手として歌ってきましたが、ニコニコ動画の方々と知り合えたことで幅が広がった。これからも面白いことをたくさん考えています。パフォーマンスとかイベントも含め、いろいろなことをやるつもり」と語った。

しかし、今回の祝賀会の開催に際しては、能登半島地震の被災地や被災者に対しての小林の思いもあった。被災地では今なお、多くの方々が厳しい避難生活を余儀なくされているからだが、小林は「こんな社会情勢の中で60周年だからといって浮かれていられない。そんな気持ちになれない」と思い、当初は「中止を申し入れた」というが、周囲から「60周年は一回だけ。なかなかできることではない」と言われ、開催となった。

祝賀会には業界関係者ら100人が招かれた。一方、政界や経済からも衆院議員で前国家公安委員長の谷公一氏や国際協力銀行の前田匡史会長らが訪れ、乾杯の発声はフジテレビの港浩一社長が務めた。また、スペシャルゲストとしてピアニストのハラミちゃんやバイオリニストの廣津留すみれと共に「おもいで酒」を披露するなどで盛り上げた。

小林は「歌が好きだと言うことが60年間歌い続ける原動力になった。いろいろとつらいこともあったが、今が一番楽しい。歌が好きだと言う気持ちをこれからも思い続けていきたい」と気持ちを新たにしていた。

7月24日には60周年の記念曲として通算100枚目のシングルとなる「オシャンティ・マイティガール」が発売される。「たくさんの要素を持った楽しい楽曲」と言う小林。「今回、携わってくださった皆さんの気持ちや思い、喜びが詰まった1曲です」とも。その上で「愛いっぱい、笑顔で踊ってほしい」と作品に対しての思いを語った。

さらに8月1、2日には東京・新橋演舞場で芸能生活60周年記念コンサートを開催する。小林を支援し、応援し続けてくれたファンに対して「60年分の感謝の気持ちを込めて」開催することになったと言う。さだまさしなども応援に駆けつける予定だという。「これまでのステージを超えた、AIを駆使してのエンタメ・ステージを届けたい」と意気込んでいた。

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