小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=156

「大丈夫だ。若いんだからマラリア病菌なんか直ぐ駆逐できるよ」

 思いなしか、良子は少し衰弱しているようにも見えた。夜気のせいかもしれない。

 

(二)

 

 その夜、信二は床に入っても容易に寝付かれなかった。炎天下で激しい労働を続けると、過労で眠れないことがある。今日の除草はそれほど疲れたとも思えなかったが、身体が熱っぽく眼が冴えた。柱時計が二時を打ち、三時を打っても眠れない。日本から持ってきたあの時計だけは嫌に正確だな。他の物事は何も彼も狂ってやがる。コーヒーは蒔き付けて四年目なのに、未だ結実しなかった。間作の稲は出穂の時期に降雨が足りず、白穂になってしまった。ミーリョ(唐黍)は幾分穫れたが、子豚が肥るまで充分なのかどうか。売って金に換える産物は何もない。来年の収穫期まで、一家六人、如何に糊口を凌げばいいのか。

 働いても働いても、孔空き樽の水が漏れてゆくように、俺たちのやり方はどこかが抜けている。こんな国へ移住してきて、奴隷まがいの制約で、徒に時を過ごしてゆく毎日が嫌になる。姉は男ほど働けないし、弟妹はまだ幼すぎる。信二はまるで自分が一家を背負ったかのように煩悶した。

 夜明け前になって、少し仮眠できた。故郷の夢を見ていた。夢というより、幼時を回想していたのかもしれない。新しい畳を敷き詰めた広い座敷に、コの字型にお膳が並んでいた。上座に、白い布で覆った風呂桶みたいな箱が安置されていた。

「おお、坊っちゃんか。先生の代理なんやな。よしよし、さあここへ座ったらええ」

 隣に住む寺田多助が、坊主頭の信二少年をそこに座らせ、その横に多助も座った。何年か前までに村の巡査だった三浦富蔵のことを先生と呼び、その子である信二は《坊ちゃん》なのだった。

「先生がな、おととし県会議員に出馬なさったの知ってるやろ。先生を立候補させたのはこの家の高倉はんやった。けど先生が選挙に敗れると高倉はんは、けんもほろろや。三浦さんは無一文になられたが、愚痴一つ言わはらへん。わしは気の毒で見ちゃおれなかった。悪いことをすると天罰は覿面や。高倉はんは去年、脳溢血で死んでしもうたやろ。そして今度は息子の戦死や。いくら金があっても高倉家はもう駄目やわ。坊ちゃん、大きくなったら解るけど、欲張って金ばかり貯めてもあかんものやで。皆死んじまうんや。土ん中へ埋め込まれて、あの世行きや」 

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