小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=157

 多助は酒盃を重ねながら、信二に解ろうが解るまいが構わぬという乱暴な関西弁で話し続けた。 彼らは奈良盆地に住んでいた。

「富蔵はんは偉い人やで。この村から兵隊に征って軍曹になったのは先生だけや。それに村人は村に尽くさないと白い眼で見るもんやから、こんな了見の狭い村にいたら人間が駄目になるいうて巡査になられた。そして部長にまで昇られたんや。議員立候補は、後押しに持ち上げられて出馬したものの結果は惨敗やった。おっ母さんは機嫌悪いみたいやけど、負けるも勝つも男の世界や、と高倉はんのことは一口も言わん。わしの恩給ぐらいでは一家六人の生活は苦しい。一つ志を新たにしてブラジルへでも行くか、と言われた。俺はその時、男泣きしたよ。そして三浦先生がブラジルに行くなら一緒に行きたいと願ったんだ」

 今まで、大人の集合など務めたことのない信二は、そうでなくも緊張気味なのに、多助の話はさらに心を惑わせた。

 一時過ぎて、霊柩車がきた。それはお祭りの神輿のような型で、神輿より重厚に黒光りしていた。小型の霊柩車がもう二台きた。後の二台には沢山の鳩が入っていた。仏さんが天国へ旅発つ道案内に、墓場で鳩を放すのだという。

 

(三)

 

 雨期に入って、植民地の人々の仕事は急に忙しくなった。作物の蒔き付けもその一つだが、コーヒー園の雑草の伸びも著しい。それに棉畑などもあったので、日曜、祭日を返上しての一家総動員の農作業が続いた。風邪だと言って休めるような日々ではなかった。

 良子のマラリアはどうも本物らしい。相変わらず一日おきに悪寒と熱に冒され、食欲もないという。永雨で、町へ通ずる道路は不通となり、医師の診察も受けられない状況にあった。

「俺、今日ちょっと良子ちゃんを見舞ってくる。そのあとで仕事に行く」

 信二は言った。

「そうしてあげな。でも余り暇取ってはパパイに怒られるよ」

「解ってるが」

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