ザ・コントーションズのジェームス・チャンスが死去、享年71歳

ザ・コントーションズのフロントマン、ジェームス・チャンスが亡くなった。71歳だった。ここ数年、健康を害していたジェームス、2020年には「個人的な健康問題とコロナウィルスによる危機的状況」を支援するため、クラウドファンディングサイトGoFundMeにページが立ち上げられていた。

兄のデイビッド・ジークフリードさんは、弟ジェームスが病院に運ばれた後、別のGoFundMeのページで、「彼はとても弱っています。体重は95ポンド(約43キロ)まで落ちています。体力を取り戻すために理学療法を受ける必要がありますが、私にはそのための医療制度をどう利用すればいいのかわかりません」と語っていた。

そして先日、デイビッドさんは、ジェームスが18日(火)、ニューヨークのテレンス・カーディナル・クック医療センターで亡くなったことを認め、死因は明らかにしなかったものの、ジェームスの健康状態は「数年前から悪化していた」と説明している。

ジェームズの公式フェイスブックページに掲載された長文の声明と追悼文には、世界的な新型コロナ感染拡大前の2019年3月にオランダのユトレヒトで行われたライブが最後だったと記されている。

葬儀は密葬で済まされ、その後、公的な追悼式が行われる予定だ。

ジェームスは70年後半にニューヨークで起きたノー・ウェイヴ運動(商業的なニューウェーブ音楽に抗議する運動)の音楽とビジュアルアートのシーンで伝説的な存在だった。このムーブメントに乗ったアーティストたちは、ジャズ、ファンク、ディスコだけでなく、ノイズ、不協和音、無調性を実験的に取り入れた。

ザ・コントーションズは、ブライアン・イーノが1978年にリリースした有名なノー・ウェイヴのコンピレーション『ノー・ニューヨーク』に参加している。

同グループは1977年に結成されたが、ジェームスはよく観客と喧嘩をしていたことで悪名高く、1980年のアルバム『オフ・ホワイト』でジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックスに改名、何度ものメンバーチェンジを経て1979年に解散した後、再結成を繰り返していた。

ジェームスはブロンディのデビー・ハリーやフォルス・プロフェットとのレコードを発表、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスといったグループにも参加していた。

オリジナルのザ・コントーションズのギタリストであるパット・プレイスは、追悼文の中でこう書いている。「ジェームスの死を知りとても悲しい。ザ・コントーションズの初期の頃、彼と一緒の仕事は、楽しさと創造性と狂気に満ちたジェットコースターのようなものだった。彼の死はダウンタウンのコミュニティと音楽界にとって大きな喪失だ」

またイライジャ・ウッドは、「ノー・ウェイヴの伝説、ジェームズ・チャンスよさようなら」「『コントート・ユアセルフ』を大音量で流そう」とXに投稿している。

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