妻と交わした約束「最後は輪島に」地震で妻と娘を亡くした男性が能登の酒食を提供する居酒屋を川崎でオープン

神奈川県川崎市に2024年6月10日、一軒の居酒屋がオープンした。店主は元日の輪島市で最愛の妻と娘を失った男性だ。あの地震から5カ月、このタイミングで店を開いた男性の思いを取材した。

地震で妻と娘を亡くす

「おめでとうございます」「乾杯」6月10日、神奈川県川崎市に輪島の酒や食材を使った居酒屋「わじまんま」がオープンした。店主の楠健二さんは元日の地震で妻と娘を亡くした。

地震直後の1月2日、楠さんは倒壊した自宅の前で助けを求めていた。「レスキューが来ないとダメだっていうの。だから救助を呼んでくれ。メディアの力で。女房が埋まっているの」。元日は家族5人、自宅で過ごしていた。隣のビルが倒壊し、自宅は下敷きになった。妻と長女は身動きが取れず、楠さんは助けを求めたが救助が間に合わず、2人は目の前で亡くなった。

居酒屋「わじまんま」

2018年に川崎から石川県輪島市に移住し、妻と一緒に自宅の1階に居酒屋「わじまんま」を開いた。子どもたちも手伝う家族経営のにぎやかな店だった。

「おやじっていうのは、家族を守らないといけないじゃん。お金だけじゃなくて、守れなかった。まして娘なんて生きていた。生きていたのに誰も助けられなくて、俺も助けられなくて、そこにいたじゃん。目をつぶると鮮明に思い出す。その状況を」。

家族の思い出

地震の後、楠さんは1カ月以上に渡ってがれきの中から家族との思い出の品を探していた。「これ娘の成人式の写真。去年前撮りした時の」。

「引け目を感じている。だから全員死ぬか、全員生きるかにしてほしかった。どっちかっていったら。なんで俺が生かされたのかわからない、今の今まで」。地震で家を失った楠さんはかつて家族と暮らしていた川崎に戻った。

輪島への思い

店で扱う食材や酒の多くは輪島から取り寄せた。「全部輪島。ぬかさばとかある」。地震からわずか5カ月で移住先の川崎で店を開くことについて聞くと「早いでしょ。だってキャベツ買うのと一緒でここ決めたもん。収入がないと無情にも支払いだけがどんどん来る。誰も待ってくれないの、支払いって。だからもう、働くしかないじゃん」と話した。「とにかく、この店はうちの女房も娘も知らない場所じゃん、ここに入るとなんとなく作業できる。輪島のわじまんまに行ったときはいろんな探しものしたけど思い出しかないじゃん、あいつらの。そうするとどよんってなる。1月1日になる。気持ちが」。メニューの表紙に描かれているのは楠さんと妻のイラストだ。

新店のオープンは輪島の店を開いた日と同じ、6月10日にした。「やるなら輪島のわじまんまをそのままこっちに持ってきたかった。将来的にも、最終的には輪島には戻りたいなと思っている。気持ちの中では。それは女房と約束した。何年かしたあとにまた輪島に戻れればいいかなって」。

地震から5カ月の再出発

いよいよオープンの時間だ。「うれしいか悲しいか分からないけど、オープンだね」と楠さんは店の看板に明かりを点けた。「いらっしゃいませ」「何名様ですか?」。オープンと同時に多くの人が入り、店はすぐに満席になった。客が「それはどこから仕入れる?」と聞くと、楠さんは「全部能登、魚も何も全部能登。珠洲の蛸島っていうところが、漁を再開している。宇出津も再開している」と答えた。

仕事を終えた楠さんは「久々に忙しい思いをした。商売としてはいいスタート。商売としてはね。やっぱり本店は輪島に作らないといけねえじゃん。最後は戻ろうと、きょう改めて思った。いろんなこと起きるじゃん店開けていたら楽しいことも、たまにはお客さんに怒られるかもしんねえけど、それはそれで何ページもめくって、いい加減厚い本になったらそのころに輪島に戻れるのかな。かっこいいこと言ったね。散々、カメラ向けられているからあの日から」と話した。

営業中を示す店の札には「復興中」の文字が大きく書かれている。「営業するときは復興中にしている。言っても俺が復興中だからね。俺自体が」。

(石川テレビ)

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