板尾創路『ダウンタウンのごっつええ感じ』秘話「台本」か「現場」か

板尾創路 撮影/川しまゆうこ

気がつけばいつの間にか訪れていた人生の分岐点。「あのときああしておけば」「もしも過去に戻れたら」――? かつての分かれ道を振り返り、板尾創路がいま思うこと。(第7回)

スタッフも芸人も何が起きるかわからない

特番で放送された『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)のメンバーに僕はいませんでした。全国ネットの番組でコントができる羨ましさを感じながら観ていたことを覚えてます。レギュラー放送から呼んでいただけるようになって、プレッシャーはなくワクワクしました。大阪の劇場に比べて東京のスタジオは煌びやかで、「電球から違うんやないか?」と思うほどでした。キー局は関わっている人数が違うから活気があるんですよ。

週2日か3日、収録があって。僕のスケジュールは毎週3日間、『ごっつええ感じ』で押さえられていました。週1回のオンエアなので追われている感覚は強かったです。特に初期はコントが中心でしたから。ただ、『ごっつええ感じ』はスタッフの方たちが芸人にとってやりやすい環境を作ってくれて、演者が主導権を握ることができたんです。

収録は、松本(人志)さんが出ないコントから始め、14時頃から松本さんのいるコントを撮ってました。その日に予定しているコントを撮り終わる頃には深夜2時、3時になっていることがザラでした

コントを作る流れとしては、まず構成作家の方たちが書いてきたネタの中から松本さんがピックアップします。書かれた台本のままやることはありません。収録後、浜田(雅功)さん以外の出演芸人と作家たちで話し合って、台本の設定をもとにブラッシュアップしていきます。それからセットや小道具を発注するのですが、当時は予算があったのでクオリティも高かったです。打ち合わせ中に“口立て”でコントの内容を決めて、「これでいけるやろう」くらいの生煮えの状態で収録日を迎えます。本番前に演者同士でシミュレーションしてから撮影するんです。収録日に「こうしたほうが面白いんじゃないか」と話して、追加で衣装や小道具を用意してもらうこともありました。本番は流れこそ決まっていますが、その場で面白いと思うことをやっていました。いろんな角度からカメラが押さえているので、スイッチングで見せていくんです。もちろん編集はしていますが、臨場感のあるコントになっていたと思います。何よりまずは、現場にいるスタッフを笑わせることを考えていましたね。

与えられた設定の中でどう面白くできるか

吉本新喜劇できっちりした台本のあるコントもやってきたけど、『ごっつええ感じ』以降は、自分の中でこの作り方がスタンダードになりました観ているスタッフも、演じている芸人も何が起きるかわからないことが前提だから、『ごっつええ感じ』の出演者はみんな対応力が磨かれたと思います。「もう1回」がなかったので、それぞれが空気を読みながら高い集中力と責任感で演じていました。

ダウンタウンさんはすでに知名度が高かったけど、僕らはまだ全国的には知られていなかったので、まずはキャラクターを浸透させなきゃいけない。作家たちは僕らのキャラが活きるようなコントを書いてくれました。

番組開始当初、僕は二の線の役を与えられることが多くて。コントでシュールな面が出るようになったら、作家たちがその方向の役を書いてくるようになったんです。松本さんが「こういう役をやらせたらええねん」と言うこともあったと思います。僕自身が「このキャラで売っていきたい」という気持ちはなくて、「与えられた設定の中でどう面白くできるか」を必死に考えていました。

うまくいかないときもあったけど、「やれることはやったから……」と、反省することはなかったです。反省会もありませんでした。そんなことをしている時間がなくて、どんどん収録せなあかんかったんです。ほとんどストックがなくて、“撮って出し”のようなスケジュールでした。

当時、『ごっつええ感じ』は「子どもに見せたくない番組」ランキングの上位に入っていました。『8時だョ!全員集合』(TBS系)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)だって「子どもに見せたくない番組」だったし、お笑いって誰かを傷つけて成立しているジャンルなので、仕方ないと思います。僕らの耳に直接入ることもあまりありませんでした。

ただ、スタッフはクレームの対応に追われていたと思います。毎週土日はどこかに謝りに行っていたそうです。『ごっつええ感じ』のスタッフではないけど、ディレクターの吉田正樹さん(『夢で逢えたら』などのディレクターで、現・ワタナベエンターテインメント会長)は「やりたいことをやっていいよ。謝るのは僕の仕事だから」と芸人に言ってました。当時、芸人のやりたいことを否定するスタッフはいなかったんです。限度はありますが、何より面白いものを作ろう、という時代でした。

取材・文/大貫真之介 撮影/川しまゆうこ

板尾創路(いたお いつじ)。1963年7月18日生まれ、大阪府出身。NSC大阪校4期生。1986年にほんこんと蔵野・板尾(現130R)結成。芸人としてはもちろん、俳優・映画監督としても幅広く活躍している。

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