医療者のことばの持つ力 【第3回】祖母が悪気なく言った一言。その言葉を聞いてから、お肉が食べられなくなってしまった

足音を立てずやってきた病い

幼い頃の僕は、両親や兄のあとをついて回り、畑や田んぼでよく遊んでいた。スーパーの袋にカエルを50匹捕まえ家に持ち帰って母に怒られたり、鼻水を服の袖でしょっちゅう拭っていたので、袖はいつもテカテカに光っていた。

食べ物は好き嫌いが多く、お肉やブロッコリーが嫌いだった。お肉を嫌いになった経緯はよく覚えていない。ただ、家の近くに養豚場があり、父によく連れられて行った記憶がある。

時々、子豚にも触らせてもらった。ある日を境にその子豚がいなくなり、父に聞いても知らないと言われた。すると、子豚がいないことを不思議に思っていた僕に、一緒に住んでいた祖母が

「食べられたんと違うか」

と悪気もなく言った。衝撃的だった。

“子豚を食べるって? どういうこと? ええー!” その後、母とスーパーに買い物に行った時、僕は精肉コーナーに並んでいる赤身のお肉をジーっと見ながら吐いたらしい。それ以降、お肉が食べられなくなった。

“おばあちゃん、悪気がないからといって、あのことばは子どもには刺激的すぎるよ” と今でも思う。

僕は幼稚園で出される給食のお弁当も食べることができなかった。蓋を開けた時の匂いが苦手であった。幼稚園の先生と母が何度も話し合い、僕だけお弁当を持たせてもらった。

お弁当は、手のひらくらいの大きさで、俵型の小さなおにぎりが2個と卵焼きが一切れ、ほうれん草の和え物がほんの少し入っていた。当時の僕は、そのお弁当で十分であった。

あと苦手なのは、風が吹いて電線がビュービューと音を立てることであった。幼稚園でその音を聞くと大声で泣きだし、母親に迎えに来てほしいと幼稚園の先生にお願いしては困らせていた。

45歳になった今では電線が揺れる音も平気になり、牛肉や鶏肉も食べることができるようになった。しかし、豚肉だけは今でも食べることができないでいる。

月1回の通院と3人の秘密

家に、僕の体よりも大きいランドセルが届いた。2つ上の兄のものに比べると、黒くピカピカに光っており、“お下がりじゃなくて、自分だけのものだ”とうれしくなり、何度も開けては閉めてを繰り返していた。

僕が通う小学校は、幼稚園の隣にあった。自宅から徒歩15分の距離であったが、通学の途中から急勾配の坂道になっていた。大人になった今では徒歩で10分くらいだが、当時は背中よりも大きなランドセルに背負わされている状態だったので、20分くらいかかっていたと思う。

近所の友達を誘い、一緒に学校に行くのが日課であった。僕が通う小学校は、幼稚園からそのまま上がる友達ばかりであったため、みんな顔見知りであった。しかし、周りは上級生ばかりであったため、教室の入り口までは緊張の毎日だった。

小学生になった僕には心配なことがひとつあった。それは、給食だ。僕は好き嫌いが激しかったので、給食を食べることができるか心配だった。案の定、僕は給食のことで担任の先生を何度も困らせた。

今では無理強いをしているなど教育上の問題があるかもしれないが、当時は給食を全部食べないと「ご馳走さま」ができなかった。そのため、掃除の時間や5時間目になっても、僕の机の上には給食が残ったままであった。

多い時は週3回、5時間目の授業が始まっても、僕は給食とにらめっこが続き、担任の先生と僕との根競べでもあった。最初、先生は、

「全部食べなさい」

と言っていたが、あまりにも僕が食べないので、

「半分でいいから食べなさい」

と譲歩してくれた。でも、先生のやさしいことばとは裏腹に僕の気持ちの中では、“先生、早く『もう田中君、残していいよ』って言ってよ。一生のお願いだから”と、1週間で何度も「一生のお願い」を繰り返していた。

小学校では尿検査が定期的に行われていた。

僕はその検査で、毎回尿たんぱくを指摘されていた。月一度の通院には、父が車で送ってくれる時もあったが、多くが母と兄と僕と3人で野上電鉄(現在は廃線になっているが)という、床が木造でできている、フォルムが赤色とクリーム色の2色のチンチン電車を利用していた。

今の病院はすごくきれいで、明るい。私が働いている病院も明るくてきれいで、清潔感がある。特に小児科などは子どもが怖がらないように、カラフルなペイントをしたり、子どもが好きなアニメの漫画も置かれている。

ただ、当時僕が通っていた病院の小児科は、今の病院とは真逆であった。照明も薄暗く、ソファの座面は所々はがれ、中のクッション(綿)が見えている古いものだった。おまけに、診察室に入ると消毒液の匂いがしていた。

通院ごとに、血液検査のために血を採られるが、1回では終わらずに2回3回と針を刺されることが多かった。普通、子どもにとってこのような病院は怖くて嫌なものである。僕も最初は、行きたくない気持ちが大きかったが、途中から病院に行くことが楽しみになっていった。


※本記事は、2023年9月刊行の書籍『医療者のことばの持つ力』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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