中央大バスケットボール部が創部100周年を盛大にお祝い

6月15日、都内で中央大学バスケットボール部創部100周年記念祝賀会が行われた。祝賀会には200人の関係者が参加。長きにわたり続いてきた部の歴史に思いを馳せ、そして現役生や現スタッフたちはチームのさらなる発展を改めて強く誓った。

中央大バスケットボール部が誕生したのは1924年。そこから78年に拠点を多摩キャンパスへ移すまでの50年以上、チームは自分たちの屋内体育館を持っていなかった。それでも、近隣の高校や大学の体育館を借り歩き、それ以外は真夏でも真冬でも屋外コートで練習を重ねてチームを強化。第二次世界大戦前後はひどい物資不足、食糧難に苦しんだが、戦後1946年に活動を再開させ、環境を言い訳にせず地道に力をつけていった。

そして1967年には、悲願のインカレ初優勝を経験。後に1972年のミュンヘンオリンピックで得点王となる谷口正朋氏が4年生で、2年生には同じく後に日本代表で活躍する宗田研二氏がいた時代だ。それから12年後、1979年のインカレにおいても、準々決勝から決勝リーグの5試合を全て1桁差で競り勝って2度目の優勝。死闘を切り抜けられたのは、前述のように78年から多摩キャンパスに校舎を移転したことで自前の体育館を手に入れ、これまで以上に練習に集中できる環境が整ったことが大きかった。そして3度目の優勝が、1988年。後藤敏博氏(日体大桜華高コーチ)をキャプテンに据え、インカレ決勝リーグでは青山学院大との優勝決定戦を1ゴール差(60‐58)で制して日本一に立った。

3度目の優勝以降、長らく日本一からは遠ざかり、1部と2部を行き来する時代もあったが、伝統を守り続け、数々のトップ選手を輩出してきた。Bリーグ最年長の五十嵐圭(群馬)やその1学年下の柏木真介(三河)をはじめ、現在もベテランから若手まで多くの中央大出身者が全国各地でプレー。また、選手だけでなく、指導者や企業の経営者など、さまざまな人材が大学での4年間を糧に各業界で活躍している。

2023年8月にはチーム名が「CARIONS(キャリオンズ)」に決定。祝賀会では松山監督が手に持っている中央大オリジナルの月刊バスケットボール(非売品)が配られた

近年では、部長の渡辺岳夫氏が中心となって2022年に「一般社団法人CHUO BASKETBALL CLUB」を設立。部の環境改善やファンコミュニティーの構築を狙いとした社団法人化は、大学バスケットボール界では初めての試みだ。渡辺部長は「うちが成功事例となれば、ほかの大学にもこのような試みが広がると思います。大学界全体の環境が良くなり、環境や競技力が高まれば、『大学でスポーツがしたい』と思う高校生も増えるはず」と述べ、部の強化のみならず大学スポーツ界全体の発展を見据えている。

創部100年目の節目にキャプテンを務める4年生の喜多陸登は、祝賀会でこう語っていた。
「私たち4年生の代は、コロナ禍の影響もあって、これまでOBの先輩方と触れ合う機会がほとんどありませんでした。今回、先輩方とお話をする中で、知らなかったこともたくさんあり、歴史の深さや伝統的な強さなどに非常に愛着が沸きました。部の歴史に愛着が深まった今、私たち現役生にできることは何かと考えたときに、やはり試合で結果を出すことだと改めて感じています。100周年の節目の年に、私たちの今シーズンの目標である『インカレベスト4』を何としてもやり遂げたい、そのために日頃から切磋琢磨して練習に励んでいきたいと考えています。その後はインカレ優勝、2連覇とステップアップしていって、OBの皆様のように常勝軍団の名を取り戻すことができればと思います」

改めて今シーズンの目標であるインカレベスト4に向け思いを強くした現役生たち

なお、5月25日に発売した月刊バスケットボール7月号では、100周年を迎えた中央大バスケットボール部を特集している。五十嵐や柏木、佐古賢一氏(三河シニアプロデューサー)が語る大学時代の思い出など、懐かしの写真と合わせてぜひチェックしてみよう!

(月刊バスケットボール)

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