落語家・桂米團治 父が偉大ゆえ苦悩した人生 初の一門会では“前代未聞”の試みに挑戦!28日神戸で

落語家の桂米團治さん

落語家・桂米團治が、このほどラジオ番組に出演。父・米朝への入門で抱えた苦悩と、約10年の歳月をかけてそこから脱却するまでの心の変化を振り返りました。また、6月28日(金)に神戸朝日ホール(神戸市中央区)で初開催の一門会で試みるという、“前代未聞”の取り組みに向けて意欲を語りました。

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米團治さんの父は、同じく落語家で人間国宝だった桂米朝。戦後の上方落語を復興へと導いた「上方落語四天王」(六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝)のひとりです。

大学在学中に父・米朝に入門した米團治さんは、二代目・桂小米朝に。落語界のサラブレッドとしての苦労を乗り越え、2008年10月に五代目・桂米團治を襲名しました。

「(米朝の)血縁だから、周りからすると目の上のたんこぶではあったと思う」と、当時の苦労を語る米團治さん。“米朝師匠の息子”として見られることを仕方ないと割り切って乗り越えるには10年ほどかかったそうで、その期間について、このように振り返りました。

「はじめは、忸怩(じくじ)たる思いがあった。親父がやらないようなネタをやったりとかして。でも、少しだけだけど認められたり評価されたりしたときに、ちっちゃな自信みたいなものができて。それに、この(落語の)世界に入っちゃうと、もうつぶしが効かないといいますか、ほかの世界に戻れないようなところもあったりして、『じゃあもうこれでいこう』と自信となっていった。『“米朝の息子”なんだよ、そうなんだよ』とネタにするぐらいになって、ようやく吹っ切れたかなと思いますね」(米團治さん)

6月28日(金)には、神戸・元町で「第1回 神戸朝日ホール 昼あがり落語会 ~桂米團治一門の会~」が、午前11時から開かれます。

通常は休日の午後に開催されることが多い落語会。平日の、昼にはあがる(=終わる)時間帯の開催は、一部の寄席では見られるものの、単独で実施される一門会のような会では珍しい試みだといいます。

米團治さんは「1時間半で(出演者の)皆がどのようにして輝けるかという(課題がある)。これはもう“前代未聞”です。うまいこといくかどうかは、私の一門にかかっているわけですから」と、責任感をにじませながら語りました。 番組パーソナリティから「プレッシャーがかかりますね」と投げかけられると、米團治さんはうなずきつつ、「プレッシャーのなかで、いかに満面の笑みで高座に上がってできるかというね」と顔をほころばせました。

そして、「一生懸命稽古して稽古場ではうまいこといくんだけど、たまに、本番にちょっとスベることってありますよね」としたうえで、「これがね、フィギュアスケートの選手に似ていると思ってね。練習ではできるのに、いざ本番でこけちゃうっていうね。『前の人の演技を見ているという感覚も似ているな』ということを妻に話したら 、『そんなええもんと一緒にせんといて。オリンピックがかかってるんやで、向こうは』と言われてしまいまして」と、笑いを交えながら意気込みを語りました。

今後は広く一般の人が「落語を身近に感じられるようになってほしい」と話した米團治さん。「『落語を聞いたことがあるよ』『この間誰々がやった芝居、よかったね』という会話が、喫茶店や郵便局といった“日常”で当たり前に、普通にできる(ようになってほしい)。オペラ業界に関しても、みんなが当たり前に知っているのがいいなと。(落語が)“日常の中の一つ”になる日がきたらなと思っています」と熱弁しました。

※ラジオ関西『Clip 木曜日』より

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