融民藝店 ~「健康で無駄がなく真面目で威張らない」店主山本尚意さんの事業承継

自分の好きなものを自分の目で選べていますか。

倉敷美観地区を見下ろす阿智神社のふもとに大きな看板を据えたお店「融民藝店」(とをるみんげいてん)では、訪れるお客さんとの対話を大切にしながら、暮らしの道具を提案しています。

1971年の創業以来、倉敷市民はもちろんのこと、観光客からも親しまれ続けている融民藝店の魅力はいったい何でしょうか。

融民藝店を2022年2月に前店主から事業承継した山本尚意(やまもと たかのり)さんを取材しました。

融民藝店とは

融民藝店は、倉敷美観地区にある江戸時代の町屋を活用した民藝品店です。

店内には陶器やコップ、手織りの織物など、店主の山本さんや前店主の小林融子(こばやし ゆうこ)さんが実際に手に取って買い付けてきた全国の民藝品を陳列しており、倉敷市内だけでなく全国からファンが訪れます。

融民藝店開店の由来

倉敷駅から、えびす通り商店街を抜けると「みんげい融」と書かれた特徴的な看板が目を引きます。

この看板は、日本で初めての地方民藝館である倉敷民藝館の初代館長、外村吉之介(とのむら きちのすけ)さんが書いた字を木工の作り手が看板にしたものです。

民藝品を見せる役割を担う倉敷民藝館は、開館時から民藝を使い手に配る役割を必要としていました。

その配り手を担ったのが、岡山県民芸振興株式会社です。

融民藝店の初代店主である小林融子さんも、当時天満屋岡山本店に売り場を構えていた岡山県民芸振興株式会社(以下、「岡山民芸」と記載)で働いていました。その後、外村吉之介さんらの支援を受けながら1971年に融民藝店をはじめました。

写真提供:融民藝店

店名の「」は小林融子さんの名前が由来。小林さんは自分の名前である融子(ゆうこ)と異なる読み方をする店名「融(とおる)」に最初は慣れなかったそうですが、お店を長く続けていくうちに店名にも愛着をもつようになったとのことです。

融民藝店の楽しみかた

店内は所せましに陶磁や吹きガラス、和紙や籠などさまざまな民藝品が並んでいるように見えますが、どの品物も一つひとつをじっくりと眺められる余白があります。

路地に面した窓がガラス張りなので、自然光がきれいに差し込んでいつも品物たちがピカピカと輝いているように見える店内に、私は訪れるたびについうっとりとしてしまいます。

また、どの品物も手に取って触り心地を確かめられるので、一点一点じっくりと自分のお気に入りを探せるお店です。

店内どこからでも店中を見渡せる作りも、融民藝店の特徴のひとつです。

品物を手に取りながら店主やほかのお客さんと、「この道具は自分の生活にどう取り入れていこうか」と盛り上がる光景も見られるのだとか。

店主 山本尚意さん

店主の山本さんは、もともと倉敷市の出身ですが東京都内のスタジオや制作会社での勤務を経て独立。フリーランスのフォトグラファーとして活躍していました。

倉敷へUターンしたきっかけは、2011年の東日本大震災です。

落ち着いた子育て環境を求めて、岡山県に戻ってきました。

そこで、帰郷後に都内での経験をいかしたいと就職した会社が、岡山民芸でした。

山本尚意さん

岡山民芸では、フォトグラファーの経験をいかして商品の撮影やオンラインサイトの運営に携わるものの、民藝については日々学びの連続だったそうです。

岡山民芸に入社すると、融民藝店を訪れて小林さんにあいさつをしました。それ以来、倉敷を訪れるたびに倉敷民藝館に足を運んで、帰りには融民藝店に立ち寄って小林さんから物の話、作り手の話、産地の話などを教えてもらいながら親交を深めたそうです。

小林さんが融民藝店の店主の引退を決断したころ、小林さんから山本さんに融民藝店の事業承継を提案され、2022年2月からは融民藝店の店主としてお店に立っています。

2022年に小林さんから融民藝店を事業承継して2年半。店主の山本尚意さんにお話を聞きました。

山本尚意さんインタビュー

「融民藝店」(とをるみんげいてん)の店主・山本尚意(やまもと たかのり)さんに、融民藝店が大切にし続けていることをインタビューしました。

「引き継ぐ」ことに魅力を感じて融民藝店の店主に

──融民藝店を承継した理由を教えてください。

山本(敬称略)──

岡山民芸に在籍していたころから、前店主の融子さんには大変お世話になっていました。融子さんの引退を聞いたときに「この街から融民藝店がなくなってしまうこと」をとても寂しく思いました。なので、融子さんから「融民藝店を引き継がないか」と声を掛けてもらい、いろいろと悩みましたがお引き受けすることにしたんです。

そもそも、僕にはあまり自分のお店をもちたいという強い願望はありませんでした。

でも「引き継ぐ」というコンセプトには惹かれました。

今まで「継承」という言葉は聞いたことがあったんですけど、融民藝店を引き継ぐにあたって「承継」という言葉を知りました。「承継」には、信念を引き継ぐという意味もありまして。

昔から通ってくださっている使い手、お取引のある作り手、そしてこの場所

もし自分がやらずに融民藝店がなくなったときに僕自身がきっと後悔すると思い、この場所を引き継いで残すべきだと思うようになったんです。そのため、店名も「融民藝店」のままです。

──山本さんにとって小林さんはどのような存在ですか。

山本──

とても大きな存在ですね。融子さんにとって、僕は岡山民芸という会社の後輩です。そのため、融民藝店を訪ねるたびに良くしていただいていました。融子さんはいつも、作家さんのマグカップやコップにコーヒーやお茶を淹れてくれるんです。そして「口当たりが良いでしょう?」「私はこのハンドルの握り心地が好きなのよ」など、使ってみて初めてわかる心地よさ実体験として学ばせていただきました。

僕も、新しい作り手さんの作品を融民藝店に迎えるときは、直接作り手さんに会って、品物を見て触れてきます。そのとき直感的に「これは、融民藝店に合う」と思えるようになったのも、融子さんとのやり取りの体験に基づく影響はあると思います。

──融民藝店を承継されて、お客さんや作り手さんの反応はどうでしたか。

山本──

たくさん「ありがとう」と言っていただきました。まだ、何もできていないにもかかわらず。

店名も融子さんのお名前が由来だったので、融子さんからも「変えていいよ」と言われて、僕なりにもいろいろ考えてたんですけど。えびす通り商店街を抜けて最初に目に映る「みんげい融」の看板のある景色や、融子さんの民藝に対する信念も引き継ぎたいと思って店名もそのままにしたんです。

そのことも含めて「ありがとう」と言われて改めて、「みんげい融」の看板や窓際に作品が並んでいるこの景色も、みんなの記憶に残っている引き継ぐべきものなのだと再認識しました。

健康で無駄がなく真面目で威張らない

──承継を経て変わったもの、変わらなかったものはありますか。

山本──

先ほどもお話ししたように、店名や通りから見える景色は引き継いでいます。

一方で、店内のレイアウトは少し変更しています。というのも、この場所はもともと羽島焼のお店があったんです。そのころから、窓際に棚があってそこに焼き物が展示される景色が続いていたようです。

引退された羽島焼の3代目、小河原常美さんから声を掛けていただき、ここで羽島焼のお店をしていたころに使っていた棚や照明などを「元の場所に戻るのが良いんじゃないか」と譲ってくれたんです。メンテナンスが必要なものもあるので、状態が良くなり次第順次このお店にも取り入れていこうと思っています。

このように、時代を越えて承継できたものもありますね。

ただ、融民藝店が開店した当初から取引していた作り手もベテランさんが多いです。そのため、新しい作り手や作品を迎えたり、作り手の新しい試みを取り入れたりするようになりました。

──新しい作家さんを迎えるにあたって意識していることはありますか。

山本──

健康で無駄がなく真面目で威張らない

そういうものを選ぶようにしています。この言葉は、倉敷民藝館の初代館長である外村吉之介さんの言葉です。これは、「民藝」をわかりやすく表した言葉ですが、人にもモノにも通ずる言葉です。

まず、倒れたりしないようなバランスの良い安心感であったり、すぐ割れたり壊れたりしないっていう丈夫さが健康的な部分ですし、変に格好つけて誇張した形にしないっていうところが真面目さだと解釈しています。この言葉に民芸的な要素が詰まっていると思うので、僕もいつも心に留めています。

──「良いもの」とは具体的にどのようなものを指しますか。

山本──

民藝的に「良いもの」っていうのは、まずは実用性のあるものだと思います。食器棚でも一番手前にありよく使うもの、洗いかごにいつもあって日々使えるものなのかなと思います。

それから、素材や工程がシンプルなもので、繰り返し作られるものも「良いもの」の要素だと思います。手の込んだ複雑な料理のおいしさというよりも、肉じゃがやみそ汁といった家庭料理のようなおいしさのもの。シンプルで安心感があり、暮らしのなかで豊かさを体感できるものに「良いもの」を感じることが多いと思います。

──「作家さんのチャレンジを応援」とは具体的にどのようなエピソードがありましたか。

山本──

先代の融子さんは、店内に並べる品物が「生活に使える道具」であることに重点を置いていました。そのため、時には作り手さんの品物に対して「この装飾は不要だと思う」のような提案もしていたそうです。外村さんの言葉通りで、的を射た指摘です。

でも、僕は最近この備中和紙の張り子をお取り扱いさせていただいています。

これは、生活に必須の道具とは言えませんし、先ほどの外村さんの言葉からは逸れてしまうかもしれません。しかし僕は、備中和紙の張り子のような作品を民藝的な仕事の延長線上としてできたものだと捉えています。

それが民藝かそうでないかに捉われず、あいまいさも楽しめるお店でありたいと思っています。

そのため、基本的には先代の融子さんが大切にしていたことを意識しながら、「良いと思えるもの」と「楽しめるもの」とのバランスは大切にしていきたいです。

──作り手と配り手がともに手を組んで取り組む場というと、敵的に開催される「展示会」といった形をイメージしていました。融民藝店では、定期的な個展などは開催されていますか。

山本──

展示会ひとつ企画するにしても、売り上げは大切な指標ですが、それだけではない意味を考えたいんです。

展示会をするために今まで違う何か変わったことをしても、売れ残れば作り手も品物も不幸です。

使い手のことを考えて作られたものを、しっかり手に取っていただけるような展示会が良いのではと思っています。展示会をとおして、作り手に対して使い手からの「こんなものがあったらうれしい」などの声を届けることが、僕のような配り手の担う役割だとも思っています。

たとえば、ベテランの作り手さんのもので普段なかなか目にする機会が少なくなってしまったものなど、使い手の希望する声を集めて作り手さんのペースと相談しながら、必要に応じた展示会を開催したいです。

使い手も欲しかった品物に再会できて、作り手さんも作った品物がしっかり使い手の手にわたる。そういう場を提供するために展示会を活用したいと考えています。

2024年の12月にも、吹き硝子の作り手の展示会があります。

自分の目で「良い」と思ったものを融民藝店で見つけてほしい

──この2年半お店に立ち続けて印象的だったエピソードはありますか。

山本──

ある若いお客さんがお店にいらしたときのことです。その日はたまたま、常連のお客さんも店内にいたんですけど、その若いお客さんが品物を眺めている姿を見て常連のお客さんとのコミュニケーションが始まったんですよね。

「これは、こんなふうに使っているのよ」「私はこの作品のこんなところが好きなのよ」みたいに。そして、やり取りの最後に、その若いお客さんが気に入った作品を一つ購入してくださったんですよ。

民藝の良さって、世代も身分も関係なく「良い」と思ったものを気軽に暮らしに取り入れられるところもあると思っているので。融民藝店の品物を媒介に人と人人とモノがつながっていくようすを見て改めてこの店がここにあり続ける意味みたいなものを感じました。

──融民藝店では、お客さんにどういった体験をしてもらいたいですか。

山本──

自分の目で見て、選ぶ」経験をしてほしいです。

最近は「雑誌に載っていたこの作品が欲しい」「SNS映えする作品が欲しい」というお客さんに出会います。でもそれらって、本当に自分で「良い」と思っているものなのでしょうか。

口コミやマーケティングに頼らずに、自分が本当に好きだと思って選んだものに自信をもてるようなお手伝いがしたいです。

そういう意味で、倉敷民藝館に並んでいる、当時実際に使われていた暮らしの道具を見て融民藝店に来ていただくことで、何か気づきがあるのではないかと思います。僕も、倉敷民藝館を見てから融民藝店に通っていたお客さんの一人でしたしね。

おわりに

「自分が本当に好きだと思って選んだものに自信をもっているか」

そう問われた瞬間、自信をもって頷くことのできない自分がいました。

SNSやインターネットの普及により、大量の情報が入ってくる日々。生活の道具に限らず、ファッションや価値観についても、つい「相手からどう見られているか」が脳裏をよぎります。

私も地域おこし協力隊としてInstagramを利用しているので、融民藝店のアカウントもフォローしてよく眺めています。

取材後にInstagram投稿された写真を出して

写真提供:融民藝店

「私、この写真が好きです」と切り出すと

「この店は、天窓もあるから自然光が多方向から入ってくるんです。僕は特に夕方の3時から4時頃の店内が好きです。和紙や窓側に置いている硝子に透ける光がなんとも言えないんですよ」

と教えてくれました。

私の「好き」と思ったものをさっそく肯定してもらってあたたかな気持ちになったので、次は夕方3時頃に暮らしで使いたい「良いもの」と出会うべくまたお店に行こうと思います。

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