「ジョーダンがいなくてもスコッティはいい選手になっていた」かつてのライバルがピッペンを再評価「すべてできるのが彼のゲームだ」<DUNKSHOOT>

シカゴ・ブルズで1991~93、96~98年に2度のリーグ3連覇を果たし、NBA史上屈指のオールラウンダーとして名を刻むスコッティ・ピッペン。そのキャリアを語るうえで、師弟関係にあり、相棒でもあった“神様”マイケル・ジョーダンの存在は不可欠だが、元NBA選手のショーン・ケンプは、たとえジョーダンがいなくてもピッペンはいい選手になっていたと持論を述べている。

1987年のドラフト全体5位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)から指名され、直後のトレードでブルズの一員としてNBAキャリアをスタートさせたピッペン。ルーキーイヤーは出場した79試合すべてがベンチスタートだったが、2年目の88-89シーズンからレギュラーの座を掴み、ジョーダンに次ぐ第2オプションとして台頭していく。

ブルズ在籍11年間で平均20得点以上を4回記録しただけでなく、身長203cmながらゲームメークも可能なボールハンドリング力とパスセンスを備え、さらにはジョーダンをもしのぐと言われる守備力でオールディフェンシブ1stチームの常連として君臨した。

ただ、コロナ禍の2020年に公開されたブルズ黄金期の舞台裏を追ったドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』で、ジョーダンが必要以上に好意的に描かれていたことに不快感を示し、翌21年に発売された自伝『Unguarded』で「ジョーダンは自分を美化する一方で、私をはじめとしたチームメイトには十分な称賛を与えなかった」と名指しで批判するなど、近年は“口撃”が目立ち、両者の関係は悪化している。
そのなかで、1995-96シーズンのNBAファイナルでソニックスのエーススコアラーとしてブルズと対戦し、2000~02年にはポートランド・トレイルブレイザーズでピッペンと共闘したケンプが『SHOWTIME Basketball』の人気ポッドキャスト番組「All The Smoke」に出演。96年のファイナルを振り返りつつ、「人々はスコッティに正しい評価を与えていない」と見解を述べた。

「ジョーダンがいなくても、スコッティはいいボールプレーヤーになっていただろう。ジョーダンがスコッティの実力を引き上げたのは間違いないが、ポートランドでのスコッティもイケていた。まだパスレーンでプレーすることができた。決して優れたシューターではなかったが、様々なことができる運動能力を備えていた。パス、スコアリング、リバウンド、すべてできるのが彼のゲームだ」

ケンプは96年のファイナルではジョーダンにフィジカルな戦いを仕掛けたとしつつ、「ジョーダンが俺たちに勝ったわけじゃない。デニス・ロッドマンに対抗する術がなかった」と、2勝4敗で敗れたシリーズを回想。ジョーダンが「史上最高か」と問われると「ノー」と答え、代わりにリーグ優勝11回を誇る50~60年代のレジェンド、ビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)の名前を挙げていた。

構成●ダンクシュート編集部

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