ナチス共通番号の悪夢…フランス哲学者「なぜ日本はマイナンバーと保険証を一体化?」G7で唯一!「個人の自由と権利の侵害」大反対の歴史

6月18日、政府は対面で携帯電話を契約する際に必要な本人確認の方法として、マイナンバーカードなどに搭載されているICチップの読み取りを事業者に義務付けることを決定したが、それに対してSNSユーザーから批判が噴出している。

すでにマイナンバーカードと健康保険証の一体化はすでに決定されていた。現行の健康保険証は2024年12月2日に廃止され、それ以降はマイナンバーカードが「マイナ保険証」として利用されることになる。マイナンバーカードによる政府の国民管理は進む一方だ。

フランス哲学者の福田肇氏は「実はG7の中でも、マイナンバーカードのような国民ID番号(身分証明書)と、健康保険証を一体化させている国は日本だけ」と指摘する。なぜなのかーー。

マイナンバーは個人を管理し、自由を拘束する権力の現れである

権力、とりわけ「生の権力」は、「住民・人口」という〝マッス〟(かたまり)を対象とする。

しかし、集合そのものではなく、集合を構成する個別的な要素が冠する〝タグ〟、すなわち「個体識別番号」——日本のマイナンバーやフランスの社会保障番号などがそれに相当する——が前景化されたとき、そこで問われる〝真理〟は、他と代替不可能な「この人がこの人である所以」でも、フーコーが指摘する、「司牧」の技術が伝達する神の教えでも、統計学が数値化する社会総体の現実でもない。

それは、整理し検索しうる〝個人情報〟である。こうして、個人を識別する情報を正確に収集し管理する特権性こそが権力となる。近代国家は個人をそうした形で管理し、自由や権利を拘束する。

哲学者フーコーによる「生の権力」という概念

聖書に、「99匹の羊と1匹の羊」という有名な譬え話がある。100匹の羊のうち1匹が群れから迷い出てしまった。そのとき、羊飼いは、たとえ残りの99匹をそこに置き去りにしたとて、迷い出た1匹を探しにいく、というのだ。羊飼いは、99匹に減ってしまった群れをもう一度100匹に戻すには、99匹の離散や猛獣による襲撃のリスクを冒してまで1匹を探しにいくより、どこかでもう1匹を買い求めたほうが経済的にははるかに正しい選択ではないか。しかし、羊飼いはあえて1匹を探しにいくのである。

柄谷行人がするどく指摘しているように、この譬え話は、「個人や少数意見を尊重するといった原理とはまったく異質である」(『探究Ⅱ』)。その「1匹」は、他の個体によって代替されることができない。たとえば、それは、私の家族の成員のだれかが死亡や失踪でいなくなってしまったとき、もう1人似たような他人をどこかから連れてくれば欠員が補充されて問題は解決できるとはいえないのと同じことである。

つまり、「99匹の羊と1匹の羊」という譬え話が語っていることは、「99匹」や「1匹」というように抽象化して数えられうるいわゆる「個体」の次元と、〝この〟羊の次元は、通分不可能である、ということにほかならない。〝この〟羊は、他によって代替されないいじょう、数え上げることも、足すこともできない。つまり、類や集合を形成することができない。逆説的であるが、何かが「個体」として識別されるのは、その「何か」がすでに共通項を抽出されて集合を形成する、そのかぎりにおいてである。

ミシェル・フーコーによれば、17世紀になると、「司牧」の技術による真理概念——つまり宗教家が神の教えを信徒に伝え、信徒は自らが服従すべき〝真理〟を知る——に代わって、「国家理性」という新しい統治理念が、統計学、すなわち「人口の計量、死亡率や出生率の計量、国内のさまざまな範疇の諸個人の算定、彼らの富の算定」によって明らかにされるこの世の現実こそ〝真理〟とみなされるようになる。

こうして、「国家理性にとって重要な知識は、たんなる領土ではなく、個別の国民でもなく、住民であり、人口であり、国家の富の総体をつくりだす人々の群れについての知識」(中山元『フーコー 生権力と統治性』)となった。やがて、住民・人口に細かい規制を課して国家の維持と発展に資するようにさせた重商主義の時代を経て、18世紀の重農主義は、人々の欲望をむしろ促進、解放することで人口の増加、国力の増強をはかる権力を生み出した。いわゆる「生の権力」の登場である。人々は、健康をまっとうしてはじめて精力的に活動しうる。公衆衛生、病気の予防、疫病対策というかたちで、権力は示現することになる。

ナチスドイツに対抗するために生まれた「フランスのマイナンバー」である社会保障番号…社会保険カードに記載される

フランスでは、軍人にして統計局職員ルネ・カルミル(René Carmille, 1886〜1945)が、1941年、すなわちナチス支配下時代の3月から8月にかけて、過去65年間にフランスで生まれた何百万人もの人々に番号を提供するために、裁判所の登録簿に記載される出生証明書を参照、13ケタのコードを作成した。対独レジスタンス運動の兵士を徴用するためである。

現在のフランスの社会保障番号(numéro de sécurité sociale)は、基本的にルネ・カルミルのこのアイディアを踏襲している。フランスで生まれたフランス人については、出生届の提出先である市役所が、出生届を受理する際に15ケタの社会保障番号をあたえる。15ケタの数字それぞれに割り当てられている情報は次のとおりである。最初の1ケタは性別(男性が1、女性が2)、次の4桁は生年月日、次の2桁は県番号、次の3ケタは地方自治体番号、次の3ケタは同一地方自治体内における同年同月生まれの人の届出順番、最後の2ケタは行政上の確認キー番号である。この番号は一生変わらない。

社会保障番号は、ICチップを埋め込んだ社会保険カード(carte vitale)に記載されている。16歳未満のフランス人は、保護者のカードに付属するが、16歳以降のすべてのフランス人にこのカードは付与される(外国人長期滞在者も申告によって所有できる。交付までに時間はかかったが、私も取得した)。フランス人は、病院、薬局、臨床検査センター、レントゲンセンターなど、あらゆる医療機関を訪れるときはこれを携行することになっていて、医療費の払い戻し分は1週間以内に被保険者の口座に振り込まれる。

ところが、フランスでは国民IDカードと社会保険番号は紐付けされていない

さて、フランス人は、社会保険カードとはべつに、国民IDカード(carte nationale d’identité。10年ごとに更新)をもっている。社会保険カードに顔写真は添付されないが、国民IDカードには添付される。後者に15ケタの社会保障番号は記載されておらず、したがって紐付けもされていない。

さらに、それとはべつに、納税番号(numéro fiscale)なるものもフランスには存在する。納税の領域においては、納税番号と社会保障番号とを紐付けすることが認可されていて、税務署は個人の社会保障番号をINSEE (L’Institut National de la Statistique et des Études Économiques /フランス国立統計経済研究所)で照会する権利をもつ(ただし一件につき5サンチームの手数料がかかる)。

つまり、フランスでは、社会保障番号と納税番号は紐付けされているが、国民IDカードとは紐付けされていない、ということだ。

フランスでも社会保障番号と個人番号を接続しようとしたが、「個人の自由と権利の侵害」として大反対にあって中断した

実は、フランスでも、社会保障番号にあらゆる個人情報を接続してデータベース化し、コンピュータで一元管理する試みが提案されたことがあった。ポンピドー大統領時代の1973年のことである。

この試みは、計画の頭文字をとってSAFARI(Système Automatisé pour les Fichiers Administratifs et Répertoire des Individus)プロジェクトと呼ばれた。

しかし、この計画が1974年3月21日に「ル・モンド」紙で取り上げられると、「サファリ」という呼称が人間のハンティングを予想させたようで、個人の自由と権利の侵害を警戒した市民たちの大反対に会い、中断されてしまう。

サファリ計画をめぐる一連の騒動の結果、政府は法案策定委員会を設置し、個人情報取り扱いについて議論を重ね、1978 年に「情報処理と自由に関する法律」(個人情報保護法)が制定されるに至るのである。

G7の中でも、マイナンバーカードと保険証を一体化しようとしている国は、日本だけ

他方、日本では、健康保険証の廃止を定めるマイナンバー法等の一部改正法について、施行期日を令和6年(2024年)12月2日とする施行期日政令が公布された。現行の健康保険証の発行については、令和6年(2024年)12月2日より終了し、マイナンバーカードでの保険証利用を基本とする仕組みに移行する(厚生労働省HPより)。

実は、意外なことに、マイナンバーカードのような国民ID番号(身分証明書)と、健康保険証を一体化させている国は、先進7カ国(G7)では日本だけである(2023年7月現在)。

なぜG7の他の国はそうしないのか…ナチスによる共通番号の悪夢がちらつく

もちろん、国民ID番号と健康保険証を統合することによるいくつかのメリットがあることは認める。しかし、逆にG7の他の国が、しようと思えばでき、さらには効率化・合理化を飛躍的に可能にする紐付けをなぜしないか、を考えるべきだろう。これについて、国際社会経済研究所の主幹研究員、小泉雄介氏は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる蛮行に対する反省であるとする。「ナチスは『共通番号』によってユダヤ人らをあぶり出し、それが虐殺につながりました。つまり、住民の選別、国民の統制に使われたんですね」(2023年6月16日付朝日新聞DIGITAL)。

個人を識別する情報を正確に収集し管理する特権性としての権力。過去の歴史から得られた教訓が、国民の間で、その横暴に対する深い懸念と個人情報一元化に対する慎重な姿勢となって現れている。

マイナンバーによって就活の合否が決まるかもしれないディストピアがもうすぐ近くまできている

こどもと接する仕事をする際に、性犯罪歴がないことを証明する制度「日本版DBS」の創設に向けたこども性暴力防止法案が5月23日、衆議院本会議で可決した。こども家庭庁は新たな情報照会システムを作るらしい。医療機関受診歴、薬剤の処方歴に加え、賞罰、学歴、資格、はたまたゲノム情報まですべてマイナンバーカードひとつで照会することができる未来も遠くないかもしれない。それらの情報を数値化し、国民を複数の優劣の等級に分類することも可能だ。

人工知能の技術的進歩とあいまって、受験生は志望動機書を書いたり調査書を申請したりしなくても、就活生はエントリーシートなど面倒な書類を書かなくても、マンナンバーカードを志望先機関のカードリーダーにかざせば、即座に合格か不合格かが決定される、なんていう時代もくるかもしれない。日本人は、こういうディストピアの到来の可能性にたいして、あまりにも楽天的である。

フランスの精神分析医・思想家のジャック・ラカン(Jacques Lacan)は、ヒトは、ことばを獲得すると同時に、象徴界(le symbolique。ことばや法や制度によって分節されている世界)に登記される、と言った。いまや、ヒトは、生まれると同時に、いや、胎児となった時点から〝情報化〟の世界に登記されている。

個人情報をつかさどる権力は、「迷い出た1匹の羊」を、そのかけがえのなさゆえにではなく、ただ登記すべき情報として、どこまでも追いかけていくだろう。

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