能登半島地震で輪島から金沢に避難…支えになったのは野球

学童野球の石川県大会。この中には地震の影響で避難先のチームから出場する選手もいました。金沢市、米丸クラブの笹谷陸斗(ささたに・りくと)くんもその一人です。新しい生活の中で笹谷君の大きな支えとなったものとは。

今月8日に開かれた、春の学童野球石川県大会。予選を勝ち抜いた16の学童野球チームが一堂に会しました。

宣誓:
「避難所生活を余儀なくされている人がいる中でも大好きな野球ができることに感謝します」

金沢市の米丸クラブでサードを守る笹谷陸斗(ささたに・りくと)くん。

元日の地震を受けて輪島市から金沢市に避難しました。笹谷君は今、金沢市の親戚のもと母、弟、妹の4人で暮らしています。夕食後に始めたのは道具の手入れ。生活の中心は野球です。

笹谷君:
「(ボールを)とってもグローブから出てしまったりするから油をつけています。エラーしないように。」

輪島市の野球チームにいた笹谷君。金沢の野球チームに入ったのは避難してから2カ月後の今年3月。少し時間がかかりました。

記者:
「金沢には野球したいと思ってきた?」
笹谷君:
「できないと思いました。輪島よりめっちゃ都会やから」
記者:
「金沢って怖いところだと思ってた?(うなづく)」
笹谷君の母:
「輪島の学校の3倍の人数でそんな大人数のところで大丈夫かなって」

そんな笹谷君をチームにさそったのは転校先でできた友達でした。

友達:
「天才的なバッター米丸の周東。陸斗が入ってから米丸が強くなった」
笹谷君:
「もう一回野球を続けることができて嬉しかったです」

避難先の生活で笹谷君の支えになったのはこれまで続けてきた野球。故郷を離れた笹谷くんにとってこの場所がいまの居場所になっています。

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