『アンメット』は生きる今日を肯定する 杉咲花、若葉竜也、井浦新らがつないだバトン

心が病んで傷ついた、その空白に光を灯すものがあるなら、それはあなたを大切に思う誰かの存在だとその物語は伝えていた。『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)最終話を見届けたいま脳裏に蘇るのは、実在感をともなった夢の記憶である。

目を覚ましたときミヤビ(杉咲花)は病院にいた。見回すと脳外科のメンバーの顔が視界に入る。記憶障害が再発したミヤビは、一日のうち良くて記憶は数時間しかもたない。ミヤビの脳梗塞が完成する前に、三瓶(若葉竜也)は手術を行おうとする。しかし、ミヤビの病巣は脳内の手術が困難な領域「ノーマンズランド」にあった。

ベッドの上で、ミヤビはその日の記憶を日記に書きとどめる。手術に備えて吻合練習をする三瓶は、「彼女の望んでることをしてあげて」という津幡(吉瀬美智子)の言葉を聞いて、残された時間をミヤビと過ごすことに決める。

記憶が一日でリセットされてしまうミヤビは、最終話で何度も記憶を失い、朝が来るたびまっさらな状態で目覚める。第10話までとの違いは、すぐそばに三瓶がいることだ。何の変哲もない恋人たちの日常。穏やかな時間の中で親密さを醸しつつ、三瓶が一線を超えないのはミヤビを救うためだ。その横顔は、たとえミヤビに“その時”が訪れても必ず自分が助けると誓っているようだった。

たとえ記憶がなくなっても、ミヤビは三瓶を受け入れる。無形の信頼が二人を支えていることが伝わってきた。その日の朝、ベッドにうつ伏したまま起きないミヤビを三瓶は凝視する。すぐに救急部長の星前(千葉雄大)に連絡を取った。

幸運にもミヤビの脳梗塞は完成しておらず、低体温症を併発したことでミヤビの手術にかすかな希望が生まれる。ミヤビのために結集した最強チーム“アンメット・アッセンブル”によるオペは、今作の手術シーンの中でも緊迫感とチームワークにおいて頂点を極めていた。大迫(井浦新)とのぞく顕微鏡の先で三瓶が見ていたのは等身大のミヤビの姿だ。手術を終えてチームにねぎらわれる三瓶が目にしたのは、かつてミヤビに「目に焼き付けて」と伝えた光景だった。毛細血管よりも細い糸でつなぐ「私の今日」は、たしかに明日につながっていた。

「満たされない」を意味する『アンメット』。悲しみを心の奥に抱えた三瓶にミヤビが伝えた「こうすると影が消えます」の意味は、光をさえぎるものにも光を当てることで、周囲のすべてを照らすことだった。「自分の中に光があったら暗闇も明るく見えるんじゃないか」とミヤビは言う。ある意味で人生は失うプロセスであり、生きることは欠落と向き合うことである。けれども自らが光源になることができれば、それさえ希望に変わる。そこには大げさではない肯定の響きがあり、大好きな焼肉丼を頬ぼるミヤビは今を生きる喜びを全身で表現していた。

メイン演出のYuki Saito氏が自身のX(旧Twitter)で語ったように、ミヤビの内面世界と外界を行き来する手術シーンを「最終回のような熱量」で撮りきった第5話を観たとき、正直言って、この先の後半戦をどう展開していくのだろうと心配になった。しかし、そこからがすごかった。週替わりで岡山天音と生田絵梨花が、井浦新が、千葉雄大が、ゲスト参加した名バイプレイヤーが、そして若葉竜也と杉咲花が、各自の持てる力を発揮した渾身の演技で物語のバトンをつないだ。

画面を隔てていることを忘れてしまうくらい自然な、それでいて心のひだにじかに触れるようなリアルな感覚は作品への愛がもたらしたものだろう。今作はカンテレが追求する作品主義の最良の成果である。プロデューサーの采配のもと、局内の風通しが良いことは創造的な座組に寄与しているはずだ。杉咲は主演として重圧があった中で、若葉をはじめチーム一丸となって最終話まで駆け抜けた。『アンメット』は地上波ドラマの新しいページを開いた。

(文=石河コウヘイ)

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