NHK朝ドラ「ばけばけ」モデルの小泉セツ 子孫に伝わるエピソードから浮かんできた「世界で一番良きママさん」の人物像

20代のころの小泉セツ(小泉八雲記念館提供)

 来秋放送のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主人公のモデルが、松江ゆかりの明治の文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻・小泉セツ(1868~1932年)に決まり、どんな人だったのか注目されている。子孫に伝わるエピソードなどをたどると、困難に屈しない強さや家族への愛情深い人物像が浮かんできた。

 セツは松江藩士の娘として生まれ、生後すぐに他家の養女となった。明治維新で幕藩体制が崩壊し、武家が没落した時代。生活は貧しく、機織りの現金収入で家計を支えた。機織りに精を出したために手足が太くなったとされ、後に八雲は親孝行の証しだとねぎらったという。

 外国人に物おじしなかった幼少期の逸話がある。廃藩置県目前の松江藩の洋式軍事訓練を見物し、フランス人教官と出会った。他の子どもが外国人の姿を怖がり泣き出す中、セツは泣かずに士官に頭をなでられ、ルーペをもらった。この出来事から、後に本人が「西洋人に対して心が開かれた」と回想している。

 八雲が死去するまでの13年ほどの結婚生活で、3男1女に恵まれた。「パパさん」「ママさん」と呼び合い、言葉や文化の違いがあっても、互いに歩み寄って信頼関係を築いた。夫婦間で使う独特な言い回しの日本語「ヘルン言葉」は、子どもたちにも全ては理解できなかったという。

 セツが八雲の執筆を支えたエピソードは有名だ。移り住んだ東京では、夫のために古書店で多くの本を買い集め語って聞かせた。自分に学がないと嘆くセツに八雲は自著を示し「この本、みなあなたのおかげで生まれましたの本です。世界で一番良きママさん」と、ヘルン言葉で感謝したとされる。

 八雲と死別した後の27年間は武家のたしなみだった能や茶を楽しみ、穏やかに過ごしたという。訪ねてくる孫におもちゃを用意する優しい祖母の顔もあったが、八雲を失った寂しさからか、怒りっぽくなったとの証言もある。

 数少ないセツの遺品に姿見がある。ひ孫に当たる小泉八雲記念館(松江市奥谷町)の小泉凡館長(62)によると、姿見は右側の色あせが激しい。ぬれた手拭いを右側にばかり掛けた癖が原因だと、小泉家に伝わっているという。

 27日から記念館で、セツの企画展が始まる。英単語帳やフランス人教官にもらったルーペ、愛用の姿見や茶道具などが並ぶ。小泉館長は「セツは苦境を力に変え前向きに生きた。結婚前から晩年まで、生涯を知ってほしい」と呼びかける。

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