富山石文化研、六地蔵石仏の由来冊子に 立山信仰と関わりか

芦峅寺の集落入り口にある六地蔵石仏

 富山石文化研究所(富山市、古川知明代表)は、立山町芦峅寺の集落入口にある庚申塚(こうしんづか)に置かれている「六地蔵石仏」の由来を冊子にまとめた。刻銘などから1685、86年(貞享2、3年)頃に金沢市の僧侶が、家族の供養と登山者の安全祈願のため寄進した可能性が高いと結論づけた。

 研究所によると、六地蔵石仏はかつて旧立山道沿いにあり、6体全てに造立(ぞうりゅう)者として「空潜(くうせん)」の名が刻まれている。家族と推定される5人の戒名(かいみょう)者と立山に向かう人の安全祈願の為書(ためが)きも確認できた。

 空潜は、1685年に安楽寺の住職を務めた僧侶。岩峅寺に残る江戸時代前期の加賀藩の史料にも記述がある。86年に金沢の浄土宗の3寺院が寄進を募り、立山道の整備や室堂への寄付を行い、寄進者に安楽寺と空潜の名もあった。

 冊子はB5判で1部300円。立山信仰の石造物に関するシリーズの5冊目で、まんだら食堂(立山町芦峅寺)で販売している。古川さんは「冊子を手に立山信仰との関わりが深い石造物を訪れてみてほしい」と話している。

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