『燕は戻ってこない』は誰かを一方的な“被害者”にしない 臨月が近づくリキが見せた成長

リキ(石橋静河)のお腹に宿る生命の神秘に心を動かされ、父親がたとえ自分ではなくとも子供を引き取る覚悟を決めた基(稲垣吾郎)。『燕は戻ってこない』(NHK総合)第9話では、もう後戻りはできないと告げるように、ドクンドクンと心音が鳴り響く。だが、リキたちはもう一つの問題を残していた。誰が生まれた子供を育てるか、だ。

臨月が近づく中、りりこ(中村優子)の住む広い屋敷で暮らすようになったリキを悠子(内田有紀)が訪ねてくる。そこで、悠子が口にしたのは「草桶の妻になってほしい」という予想だにしない言葉だった。

ここで少しおさらいしよう。合法的に人工授精を行うため、基は形式的に悠子と離婚し、リキと入籍。出産後は速やかにリキと離婚し、悠子と再婚することになっていた。だが、悠子は、このままリキが基と“夫婦”で子供を育ててはどうか、と言っている。

正直言って、これは常軌を逸した提案だ。リキは卵子と子宮を差し出すことには同意したが、誰かの妻となり母となるつもりなどなかった。ましてや、基とは“ビジネス”のために協力し合っただけで恋愛感情はない。そんな基と愛し合う夫婦間でさえ困難が付き纏う子育てを行うなど到底無理がある。

本当の母親を子供たちから奪いたくないというのが悠子の言い分だが、本音はその後に口にした「もう疲れた」という部分にあるのだろう。リキが子供たちから与えられる自信をりりこの言葉を借りて“全能感”と表現した時、悠子のカバンを握る手に力が入った。その“全能感”は悠子が得たくても得られなかったもの。

悠子は本当は嫌だったのだ。基の血を引く子供は欲しかったが、第三者を介してまで得たいとは思っていなかった。それなのに強く拒否できなかったのは、子供を産めたであろう元妻から基を略奪しておいて、その役目を果たせなかったという罪悪感があるからなのかもしれない。だから仕方なく基の提案に乗っかったが、実際に彼との子を宿したリキを前にしたら耐えられず、全てを投げ出そうとしているのである。

リキが抵抗の姿勢を見せるや否や、彼女が別の男性と性的関係を持ったという事実を持ち出し、追加報酬がもらえない可能性をちらつかせる悠子は狡い。正直に打ち明けたリキに、それでも産んでほしいと言ったのは悠子だ。それだって中絶させることもできたのに、悠子は自分が流産した子供の生まれ変わりかもしれないからという理由でそうしなかった。その上、秘密を抱えられなくなり、結局は基に選択を委ねた。そんな悠子の弱さを責め立てることは憚られるが、少なくともその代償を赤の他人であるリキが負う必要はない。

家族の問題なのに蚊帳の外に置かれ、一番可哀想な立場にいると思われた悠子。その彼女が今、中途半端な姿勢で基のこともリキのことも翻弄しているように、この物語は誰かを一方的に加害者・被害者にしない。だからいつも観終わった後は心にモヤっとした感情が残るのだが、本来、世の中はそんな風に白黒つけられないことばかりだ。

命の重さを知り、変わったと思った基も1年という期間限定でリキに子育てを背負わせようとする。さらっと「それなら子供はあなたを覚えない」と口にしたが、子供たちと子育てに関わって愛情が芽生え始めた頃に引き離されるかもしれないリキの気持ちを一切考慮していない、なかなかに残酷な提案だ。自分が子供を欲しがったにもかかわらず、一人で育てる覚悟のない甘さにも疑問を持たざるを得ない。基と悠子はお金でリキの子宮と卵子を搾取したことに対しては内省的だが、今度は無意識のうちに彼女の人生を丸ごと搾取しようとしている。

それに対して、リキが「産んでから考えさせてください」と答えを保留にしたのはある種の成長と言えるだろう。りりこに自分を認めてもらい、その叔父であるタカシ(いとうせいこう)や家政婦の杉本(竹内都子)に家族的な愛情を注がれて、リキはようやく自分自身を大切にできるようになってきたのだ。だから以前のように浅はかな行動を取ることなく、自分にとって何が最善かを考えられる。

タカシや杉本からもらった絵本から“ぐりとぐら”という仮の名前をつけ、お腹の子供に語りかけるリキ。“エイリアン”からの進化は愛情の芽生えを意味しているのだろうか。リキが破水し、ついに賽は投げられた。リキと草桶夫婦による代理出産プロジェクトの行く末を心して見届けたい。
(文=苫とり子)

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