「結婚当初は元気だったのに」被爆した妻は足の先を切断した 闘病生活を語った夫の涙

亡き妻の被爆体験を語る川越さん(中央)=京都市右京区、本願寺・角坊

 平和の尊さを伝える「原爆と戦争展」が京都市右京区の本願寺・角坊で開かれた。このほど、中京区の川越義夫さん(87)が講演し、長崎への原爆投下で被爆した妻の闘病生活を振り返った。

 7年前に亡くなった妻潔(ゆき)子さん(享年79)は1945年8月9日、国民学校3年の時に長崎市で被爆。結婚当初は登山ができるほど元気だったが、30歳を過ぎた頃に卵巣に病気が見つかった。血液異常なども判明し、晩年は寝たきりだった。

 川越さんは「20種類の薬を飲ませなければならなかった。足の先も切断した」と涙ながらに語った。潔子さんは被爆者健康手帳を所持していたが、国は被爆と疾患の因果関係を認めなかったとし、「水俣病や原発事故と同じ。国はいつも影響を小さく見せようとする」と憤った。

 市民団体「京都原爆展を成功させる会」(右京区)が主催した。会場では、太平洋戦争の惨状や原爆の被害を伝えるパネルのほか体験記なども展示した。

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