「生きて罪を償ってほしい…」奥田交番襲撃事件から6年で遺族 再び訪れた事件現場で語る 富山

富山市の奥田交番が襲撃され、警察官と警備員が殺害された事件から26日で6年。刑事裁判の再審が2024年度中に始まるとみられるなか、警備員の妻は「被告には生きて罪を償ってほしい」と話します。その理由は…。

あの日から6年…。

事件で命を落とした警備員・中村信一さんの妻と家族は毎年、命日に合わせて墓参りに行くのが恒例になりました。

当時、小学生だった2人の孫は就職し、保育園に通っていた1番下の孫は小学校6年生になりました。

7回忌を迎えたことしは久しぶりに全員が揃いました。

「また来るね」

中村さん:「きょうは一番下の孫がいいことあったのでそれの報告と。この先孫たちが気になるんで見守ってやってねってこととだいたい毎年一緒なことですよね」

6年前の2018年6月26日。

富山市の奥田交番に男が押し入り警察官を刃物で殺害し拳銃を奪い、小学校の正門前で交通整理の仕事をしていた警備員を警察官と間違え引き金を引きました。その凶弾に倒れたのが中村信一さん(当時68)でした。

逮捕されたのは元自衛官の島津慧大被告。起訴後の精神鑑定で、ASD・自閉症スペクトラムと診断されました。

いつ拳銃を奪う意思を持ったのか…

刑事裁判で最大の争点となったのは、島津被告がいつ拳銃を奪う意思を持ったのか、つまり、強盗殺人罪が成立するかどうかです。

一審の富山地裁は警察官を殺害後に拳銃を取る意思が生じた可能性を取り除くことは出来ず、殺人罪と窃盗罪に留まるとし、死刑の求刑に対し島津被告に無期懲役の判決を言い渡しました。

しかし、控訴審で名古屋高裁金沢支部は、一審判決に事実誤認があるとしてこの判決を破棄。強盗殺人罪を前提としふたたび審理するよう富山地裁に差し戻しました。

この判決を不服とし島津被告側は最高裁判所に上告。

2年が経ったことし3月。最高裁は島津被告側の上告を棄却。ふたたび富山地裁で裁判員裁判が開かれることになりました。

最高裁の判断を受け中村さんは。

中村さん:「最初の裁判の時と違って年数も経ってるんでこの数年の間に何か変わった心境とかあるかどうか現在どう思っているのかとかそういうのが聞けたらいいなと思います」

再び刑務所へ…中村さんの思い

上告棄却から6日後。中村さんは金沢刑務所に収容されている島津被告の面会に訪れました。

島津被告はこれまで法廷で何も語っていませんが、過去に1度だけ中村さんの面会に応じ、事件について話したことがあります。

事件から1年半後、富山刑務所でのことです。

中村さん:「どうしてこんなことをしたの?」 島津被告:「警察官と戦ってみたかった」

中村さん:「何で警察官を?」 島津被告:「拳銃を奪いたかった」

中村さん:「拳銃を奪ってどうするつもりだったの?」 島津被告:「同じことを繰り返して、いくところまでいくつもりだった」「僕の唯一のミスは警備員のご主人を警察官と見間違えて撃ってしまったこと」「奥さんには申し訳ないけども悪いことをしたとは思えない。こんな僕でごめんなさいね」

この面会をきっかけに中村さんの気持ちに変化が生まれました。

中村さん:「例えば彼がもし極刑の判決を受けたとして、もし刑が執行されてこの世からいなくなったら、それでじゃあ彼の罪が消えたかっていうと本来そうじゃないんですよね。彼にも生きてる間中、この事件を引きずってもらっていけばこの事件と向き合っていけば、いつか彼も謝罪する気持ちが出てくるんだろうかと思ったりもするんですよね」

事件後は死刑を望んでいた中村さんですがこの面会以降、生きて罪を償ってほしい思うようになりました。

今回ふたたび島津被告と面会し、心境に変化があったかを知りたかった中村さんでしたが。

中村さん:「本人が今出れないんでと言ってるということで」「裁判始まったら面会もできなくなるのでその前に機会があればと思って来たんですけどちょっと残念でしたけど。「会えずに裁判を迎えたとしても私の気持ち、思いは変わることはないので」

再び事件現場へ…6年前に思いはせる

事件をめぐる刑事裁判と、中村さんが県警の初動対応を明らかにしようと起こした民事裁判は今年度、法廷での審理に入る見込みです。

事件から6年を迎えたこの日。中村さんは発生時刻に合わせ夫が命を落とした場所を訪れました。

事件以降、なかなか足を運ぶことが出来ずここに来るのは4年ぶり2回目です。

中村さん:「6年前と同じでこの天気と言い暑さといい6年前もこんな感じだったかなと思うと苦しいですけど。やっと来れてよかったです」

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