![](https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/1178669704350286646/origin_1.jpg)
「試合に勝つのは、何も良いプレーをしたチーム、というわけではない。みんなは騒ぐが、ボールを持つことになんの意味があるのか? 自分たちが何をやっているのか、その確信を持っているチームこそが勝利を手にするのだ」
アトレティコ・マドリーを率いるディエゴ・シメオネ監督は、かつてそう言って憚らなかった。ボールポゼッションを完全否定。相手の持ち味を消し、焦りを誘ってのカウンターを信条としていた。
それは一つの正義だった。
なぜなら、シメオネが主張するように勝利は必ずしも論理的な結果ではないからだ。
【PHOTO】EURO2024を華やかに彩る各国の美女サポーターを特集!
たとえば1986年のメキシコ・ワールドカップ、ディエゴ・マラドーナの“神の手”でアルゼンチンがイングランドを破ったように、理不尽な結末を迎えることもある。あるいは、グレーゾーンのファウルでPKを献上し、退場を命じられてしまい、数的不利で敗北するなど、ありふれた不運のストーリーだろう。不合理な結果は、世界中にいくらでも転がっている。
勝敗というのは、後からどのようにでも説明をつけられる。それがフットボールである。
しかし、ゲームに対するアプローチというのは存在している。「勝つために良いプレーをする」という原則で言えば、論理的なトレーニングに重点が置かれるべきである。そのロジックでは、シメオネのようにボールを捨てたサッカーは、たとえ勝ったとしても必ずどこかで報いを受ける。「勝てば官軍」という結果至上主義では、やがてプレーを劣化させ、選手の才能を萎ませるからだ。
シメオネは確信を持って、退屈なフットボールを志向し、勝利を重ねたが、限界が来た。
昨シーズン途中から、アルゼンチン人指揮官はプレーモデルを劇的に変えている。ボールプレーの仕組みを整え、パスの通路を作って、能動的な時間を増やした。カウンター攻撃だけでなく、主導権を握らないと、高いレベルで再現性のある勝ち方はできない、という結論に行き着いたのだ。
冒頭の発言を考えたら、180度の方向転換だろう。シメオネは良いプレーが勝利につながると確信した。その点、彼は自らの言葉を裏切っていない。
もっとも、良いプレーが必ずしも勝利に結び付くわけではないのが、フットボールの宿命だ。
シメオネ・アトレティコは方針転換後、今シーズンはラ・リーガで優勝争いにも絡めなかった。とにかく、失点が増えた。攻撃に取り組むことで、防御に隙が生まれてしまった。かつての要塞堅固のチームではなくなったと言える。
一方、勝つべくして勝っている。確実にプレーは向上。エースFWアルバロ・モラタがキャリアハイの得点を記録し、アントワーヌ・グリーズマンが復活を遂げたのは、ゴールへの道筋があるからだ。
せめぎ合いはある。次にどこへ舵を切るか。サッカーの命運は託される。
「縦に速いサッカー」
そのような御託で、技術や度胸のなさを正当化している限り、サッカーの進化も望めない。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。