ネパール“見捨てられた被災者” 地震から半年も来ない支援金 家族も家も仕事も失い…【FNSチャリティキャンペーン2024】

去年11月、マグニチュード6.4の大地震で20万人が被災したネパール。
「FNSチャリティキャンペーン」の取材で訪れた倉田大誠アナウンサーが目にしたのは、地震から半年たった今も手つかずのがれきの山でした。

被災者からは「政府から見捨てられた」との声も上がるこの地で一体何が起きているのか、取材しました。

危険な場所に“仮設住宅”

日本から首都・カトマンズを経由して、地震で被害を受けた山岳地帯へ向かった取材班。

倉田大誠アナウンサー:
すごい、(山が) 切り立っています。何か支えになるようなものが一切なくて、当然この辺り外灯もありません。人も歩いて行くんですね。みなさんこういった道が、いわゆる生活の道路です。

半年前の地震で被災したネパール西部は、ほとんどがこうした険しい山岳地帯です。

倉田アナ:
この辺りというのが、最も被害の影響を受けたという場所なんですが、本当に山岳地帯なんですよ。とても標高が高いです。地震の影響でしょうか、倒壊してしまって屋根が完全に抜け落ちてしまっている家もあります。

倉田アナ:
こちらのお宅は特にひどい。2階部分屋根だけではありません、外壁が完全にえぐり取られてしまっています

震源から約15km。大きな被害を受けたカルパス地区。地震から半年がたってもなお、壊れた家はそのまま残されていました。

地下数メートルに基礎を作り、家を建てることが多いネパールの住宅。基礎に密着した1階部分は比較的安定しているものの、2階以上は天井の崩落などが相次ぎました。

壊れた家屋の周辺に、住民らしき人の姿は全く見当たりません。
実は、このあたりは地震によって地盤がゆるみ、半年がたった今もたびたび土砂崩れが発生するなど、危険な状態。ほとんどの人が、移住したといいます。

そんな中、取材を続けていると、人の声が聞こえてきました。家を再建しているのでしょうか?

倉田アナ:
ナマステ~日本からきました。お母さん、これ何の作業をされているんですか?

カルパス住民:
仮設住宅を作っているところです。(材料は)木や石・トタンで作っています。強度的には心配なんですけれど…。

再び地震が来て土砂崩れが起きた際には、決して強度が高いとは言えない仮設住宅。切り立った山岳地帯だけに、資材を運ぶのにも余計にお金がかかるため、近場で用意できる資材で作るしかありません。

女性らはこれまでは近くの集落に住む友人の家に身を寄せていましたが、半年たってようやく、仮設住宅を建てることにしたといいます。

なぜ、土砂崩れの危険があるこの場所を選んだのでしょうか?

倉田アナ:
もっと遠く離れた場所に住むという選択肢はなかったんですか?

カルパス住民:
安全な土地に引っ越したいんですが、お金がなくて土地を買えないんです。危険なことはわかっていますが、ここに建てるしかありません。

彼女たち以外の“元住民”はどこにいってしまったのでしょうか?
男性に聞いてみます。

倉田アナ:
今、この辺りに人は住んでないようにも見えるんですけど、(元住民は)どこにいるんですか?

住民:
この村の人たち、みんな近くの仮設住宅に移動しました。

教えられた場所に行ってみると、崖から少し離れた場所に仮設住宅がいくつも並んでいました。

倉田アナ:
ほんとだ、かなりの数の仮設住宅がありますね。トタンですね、アルミ製のトタン屋根が貼られているんだ。あ!ナマステ!

出会ったのは、この仮設住宅に住む、パリヤールさん一家。
土砂崩れの心配のない場所に移り住み、少しは安心できているのかと思いきや…。

倉田アナ:
いまお仕事どうされててるんですか?

パリヤールさん:
生活のために出稼ぎに行くべきか悩んでいます。畑をつぶしてしまったので、今、仕事がないんです。

実は、仮設住宅が立てられているのは、元々、畑があった場所。多くの人が安全な住まいを作るために、唯一の収入源である畑をつぶして、家を建てたのです。
そのため、幼い子どもを抱えるパリヤールさんも、無収入の生活に。

そんな中でも、残りわずかな貯金を切り崩して、作ったものがありました。

パリヤールさん:
亡くなった2人の息子のために、慰霊碑を作ったんです。
地震に気づいたときには家が崩れていました。隣で寝ていた息子2人が家の下敷きになってしまったんです。

倉田アナ:
……。

飾られている写真には、カメラに向かって笑顔を見せる二人の子どもの姿。倉田アナウンサーも言葉に詰まります。

パリヤールさん:
この近くに私たちの家があったんですが、息子たちはここに来る車やバイクを見るのが好きで、ここでよく遊んでいました。思い出の場所なんです。

倉田アナ:
上にはなんて書いてあるのですか?

パリヤールさんの妻:
名前や生年月日が書いてあるんですけど…、読み書きができないので、分からないんです。

パリヤールさん:
二人のことを思い出す、大事な場所です。でも、ここに来るのがつらくなるときもあります。

倉田アナ:
まだ小さいお子さんがいます。彼女にはどういう大人になってもらって、どういう人生を歩んでほしいですか?

パリヤールさん:
この子には、良い教育を受けさせて立派に育てたいですけれど…。

パリヤールさんの妻:
安全で良い教育ができる所で育てたい気持ちはありますが、でもここで暮らしていたら、子どもの将来が明るくなるとは思えません。

届かぬ支援金「私たちは見捨てられたんです」

別の日、雨が降ると土砂崩れが起きることもあるという、別の被災地を訪れた取材班。そこに、今も住み続ける人と出会いました。

スシラさん、65歳。地震によって、あらゆるものを失いました。

スシラさん:
もともとは2階建ての家でした。土砂が崩れてきて、屋根がつぶされたんです。

地震直後に起きた土砂崩れが、屋根を直撃。スシラさんはなんとか九死に一生を得ましたが…。

スシラさん:
息子夫婦と、孫が2人、亡くなってしまいました。
息子が亡くなって、誰ひとり助けてくれる人はいません。誰でも良いから早く助けてほしいです。息子がいれば家を建て直してくれたかもしれませんけど、私も歳をとっているのでどうすることもできません。

倉田アナ:
お母さんのように、つらい思いをされている方がたくさんいると思います。どういうことを望まれていますか?どういうふうにしてほしいですか?

スシラさん:
国が地震の支援金を出してくれると言っていますが、半年たってもいまだにもらえていません。私たちは見捨てられたんです。

ネパールの場合、地震の支援金として、日本円で約6万円を2回に分けて配られる予定ですが、スシラさんは、1回目の支援金すらもらえていないといいます。

なぜ支援金が被災者の元へわたっていないのか、その理由を知るべく、ジャジャルコット郡庁舎に向かった取材班。しかし、そこで見たのは、行政を統括する場所とは思えないほど、崩れてしまった建物でした。

倉田アナ:
2階部分の屋根が完全に崩れ落ちてる…。

なんとか業務はこなせているといいますが、職員によると支援金の支給が遅れている理由は、意外なものでした。

郡庁舎職員 カダック・ビーシーさん:
正直、なぜなのかわかりません。政府から支援金が届いていないんですよ。早く対応してほしいですね。

20万人に上る被災者への支援金が、“政府から届いていない”という職員。
ベテランのジャーナリストは、その原因を「国にお金がない」ことだと話します。

ジャジャルコット記者協会元会長 ジャナック・ケーシーさん:
とにかく、国にお金がないんです。災害対策に十分に予算があてられない現実があります。ネパールは自然災害が多すぎるんです。

実際に、首都・カトマンズでも、道路に設置された信号機は全く付かないものがほとんど。電力が不足しがちで、店が停電したまま営業することも日常茶飯事だといいます。

2015年に発生したマグニチュード7.8の巨大地震の際には、約100万棟の建物が全半壊したものの、支援金の支給は1年以上ったっても対象の0.1%程度の世帯にしか行き渡りませんでした。

ジャジャルコット記者協会元会長 ジャナック・ケーシーさん:
政府は本気で補償するつもりがありません。自治体も、国に強くは言いません。だから皆、怒っているんです。「見捨てられた」と。

世界遺産に登録される歴史的建造物が建ち並ぶ、風光明媚な国の顔の裏には、ひとたび被災すれば貧困から抜け出せない、過酷すぎる現実がありました。

(めざまし8 6 月25日放送)

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