【社説】ハンセン病と人権 誤った医療の記録後世に

ハンセン病患者を隔離収容していた国立療養所で、人倫にもとる医療行為の実態が明らかになった。

熊本県合志市の菊池恵楓園で戦中、戦後にかけて、開発中の薬剤を入所者に投与する臨床試験が行われ、多数の副作用が確認されたにもかかわらず継続された。試験期間中に死者も出ている。

園がまとめた調査報告書を基に、ハンセン病問題を再認識し、今日に通じる教訓を見いだしたい。

薬剤は旧陸軍が寒冷地で凍傷対策などに使うことを想定していた虹波(こうは)で、熊本医科大(現熊本大医学部)を中心に研究されていた。

結核への治療効果から、結核菌と近縁のらい菌がもたらすハンセン病にも着目した。菊池恵楓園では1942年から47年までに、6歳児を含め少なくとも472人に投与されたとみられる。

報告書に記された臨床試験の様子にがくぜんとする。入所者の言葉を借りれば「壮大な人体実験」である。

投与は筋肉注射、喉から吸入、肛門から注入など多様な手段が試された。投薬量にも差があり、最初は毎日3錠の服用が30錠まで増えた被験者もいる。

副作用は頭痛や嘔吐(おうと)、全身の倦怠(けんたい)感などさまざまで、胃けいれんを起こした入所者は「胃がでんぐり返って、痛くてたまりませんでした」と園の聞き取りに答えている。

戦中に9人の被験者が死亡し、特に2人は副作用の影響が疑われるという。

報告書は問題点として(1)被験者が十分な説明を受けていない(2)医師への遠慮のため参加を拒否できなかった(3)体調が悪化しても適切な治療を受けられなかった-など9項目を挙げた。「病理学・薬理学的な根拠が不足していた」との指摘もある。生命を軽んじていたと言わざるを得ない。

異様な臨床試験には、ハンセン病療養所ならではの事情が反映されている。

明治以降、国はハンセン病患者を療養所に隔離した。昭和に入ってからは自治体と国民が一体となった無らい県運動を展開し、警察を使って強制収容を推し進めた。

医師である園長には懲戒検束権が与えられ、規則に反した入所者に監禁などの制裁を科すことができた。

副作用があっても「園長が怖くて本当のことが言えなかった」という趣旨の証言も残る。閉ざされた療養所で暮らすしかない入所者が口を挟めなかったことを、報告書はありありと伝える。

菊池恵楓園は調査を継続している。他の療養所でも資料を掘り起こし、検証を進めてもらいたい。

虹波の臨床試験のように、療養所における人権侵害の元凶は国の誤った隔離政策であり、それに加担した国民も決して無関係ではない。

ハンセン病問題に終わりはない。過酷な歴史を風化させてはならない。

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