「人生のピークは18歳。東大に合格したとき」という、しんめいP。32歳で無職になり、離婚して、実家のふとんに一生入ってると思われた彼が自身の“虚無感”をなんとかしようとしてたどり着いたのが「東洋哲学」でした。そんなしんめいPによる著書『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版/監修・鎌田 東二)から、東洋哲学の哲学者を紹介します。第3回目は、老荘思想に登場する「道(タオ)」を活用した「婚活」に勝つ方法についての考察です。
「道(タオ)」からまなぶ婚活術
現代社会、ぼくたちは「市場」のなかにいる。労働市場も、婚活市場でも、ぼくらは「商品」である。つねに競争の世界だ。いやだね〜。
そんななかで「道(タオ)」の哲学をいかして、どう「勝つ」かを考えてみた。
まずは、「婚活」をかんがえてみよう。
いつのまにか日本社会になじんでいる、謎の言葉、「婚活」。2007年に登場したらしい。
『婚活バトルフィールド37』というマンガが存在する。
「婚活」はしばしば「戦場」にたとえられる。
マッチングアプリをひらけば、凄まじい「スペック」の競争相手のすがたがみえる。
「戦い」の前から、やる気がなくなってくる。
しかしである!
そんな、魔窟のような婚活の戦場で、
「めっちゃフツーなのに、なぜかうまくいく人」を見たことがないだろうか?
ぜったいあるはずだ。
みためも地味。わかりやすい強みも特にない。
でもなんか、「感じ」がいい。
そして、一瞬で、いい感じの相手をみつけて、婚活市場から「解脱」していく。
あいつら、なんなんだ!?
そう思いたくなる。ぼくの見解をのべる。
「あいつら」は、ふつうなフリをしているだけで、
「道(タオ)」の力の使い手なのだ。
どういうことか。説明してみよう。
婚活は「戦い」といわれる。「年齢」「ルックス」「年収」といったパラメータで、総合値が高い相手をいかにゲットできるか。
婚活ゲームのプレイヤーたちは、いわばバーチャル・リアリティの世界にいるのだ。その場にいるようで、バーチャル世界にいる。
もはや、相手の姿はほとんどみえてない。
しかし、「めっちゃフツーなのに、なぜかうまくいく人」は、違う。
「戦い」がただのフィクションだと知っている。
「道(タオ)」とつながっているのだ。
やつらは、「道(タオ)」の使い手。いわば「タオイスト」なのだ。
反対に、「スペック」が高いのに「いやなかんじ」の人もいる。
相手を「上」「下」をつけるフィクション世界にとじこもっている。
その点、タオイストは、視野がクソ広い。
老子の「勝つ」という概念を体現した「婚活タオイスト」
バーチャル・リアリティからぬけだして、ありのままをみている。
相手に「上」や「下」のレッテルをはらない。
「下」に高圧的になることもないし、「上」にぎこちない態度になってしまうこともない。
自分がVRメガネをはずしているから、相手も心をゆるして、VRメガネをはずす。そこは「道(タオ)」のパワーがはたらく場所である。
いい感じにならないわけがない。
バーチャルリアリティからぬけだせば、「スペック」は幻としてきえる。
そもそも、みんな婚活の「戦場」に参加している。
出会う相手のほとんどは「戦いにつかれた戦士」たちだ。
相手と競いあうより、「海」のように受けいれるほうが、絶対モテる。
結果的に、まわりからみれば高い「スペック」の人をゲットする。
でも、本人にはその自覚すらない。
「為して而も恃まず。」
老子 「道徳経」 51章
――偉大なことをなすが、それを誇ることはない。
まわりからみれば「勝った」のだが、本人には「勝った」意識すらない。
老子の「勝つ」とは、そんな感じなのだ。
これが「めっちゃフツーなのに、なぜかうまくいく人」の正体だと思う。