「研修医の誤診で」

 どんな新聞記者にも必ず「初めて書いた記事」がある。筆者の場合は〈空っぽの現金輸送車が国道で横転した〉という交通事故の記事だった。まだ本紙に夕刊があった頃で、夕刊には載ったが朝刊段階では捨てられた▲新聞記者に限った話ではない。裁判官なら初めて書く判決文、学校の先生なら初めて受け持つ担任のクラス。どんな仕事にも“初心者マークの頃”はある。ルーキーが現場に立ちながら経験値を獲得していくことを完全に否定してしまったら、どんな職業も途端に持続可能性が危うくなる▲一方-。誰が書いても記事は記事、判決文は判決文だ。『未熟な者が担当しました』という言い訳は社会に通用しないし、まして、何かの場面でその『未熟な者』を矢面に立たせることは論外だ▲だから、なんでこんな話に…と今も首をかしげている。愛知県の医療機関が半月ほど前、〈研修医の誤診が原因で16歳の高校生が亡くなった〉とする医療過誤で謝罪会見を開いた▲救われたはずの命が失われた痛ましい出来事だ。無論「研修医の誤診」では済まされまい。ただ「研修医」の未来も守られなければならなかった。医療機関の責任は二重に重い▲新年度が始まって3カ月。社会のあちこちで頑張る新人たちが自身の成長を静かに実感できているといい。(智)

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