能登再生、和倉温泉から 産業と地域を一体復興

地震で旅館の建物が傾いたり、護岸が崩れたりするなど大きな被害を受けた和倉温泉。復旧工事は行われているが、多くの宿泊施設で休業が続いている=28日午前、石川県七尾市(ドローン撮影・石井裕貴)

 能登半島地震の発生から7月1日で半年となる。地震で打撃を受けた能登の基幹産業の一つが、豊かな里山や里海を生かした観光産業だ。七尾湾に面し、「海の温泉」として知られる石川県七尾市の和倉温泉では、22の旅館のほぼ全てが営業再開を見通せないでいる。被災から半年を前に、旅館や地元住民、外部有識者らが「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」をつくり、温泉街の復興を能登再生へつなげる計画を、来年2月に取りまとめる。

 新型コロナウイルス禍前には年間80万人前後の観光客が訪れていた和倉温泉。地震後、一般向けの営業を再開した旅館は1軒のみで、温泉街を歩く観光客の姿はまばらだ。旅館の経営者によると、湾に面した温泉街という特有の事情が再建の障壁となっている。

 波の浸食から地盤を守る護岸が地震で崩落した。護岸の管理者が県や市、個人に分かれているため、復旧の進め方が課題だ。復旧に向けた調査が26日にようやく始まり、着工は来年度と見込まれる。こうした要因から、旅館の再開は数年後とみる経営者もいる。

 存続の岐路に立たされた温泉街の在り方を再構築しようとする動きが、若手経営者を中心に出ている。1885(明治18)年創業の旅館「多田屋」の多田健太郎さん(47)がその一人だ。多田さんは、和倉温泉創造的復興ビジョン策定会議のワーキング委員長として、復興ビジョンの取りまとめに尽力。この会議を引き継ぐ形で設立された和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会の代表に就いた。

 「めぐる」が理念

 2040年を目標とする復興ビジョンの基本理念は「能登の里山里海を"めぐるちから"に。和倉温泉」。多田さんによると、従来は各旅館が客をもてなすなど一つの場所で完結する形だった。能登6市町もそれぞれが独自路線を歩み、多田さんは「横の連携が取れていない」とも感じていた。

 復興ビジョンは、旅館や商店の若手経営者が出した案に基づく。基本理念に盛り込んだ「めぐる」の言葉にはこうした旧態依然の姿からの脱却を図り、能登全体の中心地化を目指そうとする若手の決意がにじむ。

 和倉温泉の復旧は、七尾市のまちづくりとも連動する。このため協議会は温泉街で働く人だけでなく、和倉温泉で暮らす人や市なども参画する。「和倉トーク」と銘打った意見交換会を月1回開くなど、住民目線の復興計画にしたい考えだ。

 石川県の担当者は「地元の総意としてできた計画を県としてどのように支援できるのか考えなければならない」と話す。多田さんは「復興はわれわれでは完結しない。次の世代にバトンをつなげる温泉街へとしていきたい」と力を込める。(いわき支社・折笠善昭)

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