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老若男女問わず、多かれ少なかれ「嫌いな人」「苦手な人」はいるでしょう。そのような相手と接していると、思わずイライラしてしまうものです。では、この「対人ストレス」から解放される方法はないのでしょうか。心理コンサルタントの林恭弘氏の著書『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より、苦手な人とのコミュニケーションで注意したいポイントをみていきます。
自分のスタンダードとのギャップ
人は、知識や経験がはるかに優っている人と付き合っていくことで、プレッシャーやストレスを感じながらも成長できるのです。逆に、自分よりもずいぶん年下で経験も浅く、発展途上の人たちと関わり、仕事を教えることでも成長させてもらえることが多いのも事実です。
子どもや後輩・部下を教えることで、生活や仕事の根幹を再確認し、ものごとの基本を大切にすることを思い出させてくれます。
“他人に教える”ということは、自分で出来るようになることに比べて何倍も難しいことですし、あなたのレベルを高めてくれるものです。
自分とは違うペース、違う価値観、違う成熟度の人たちに、あなたが教えることをマスターしてもらうためには、イヤでもあなた自身の枠組みを広げなければなりません。それは彼らの言葉で語り、彼らの思考で考え、彼らのレベルで物事を見てみないと、彼らの心にまでは伝わらないからです。
人は無意識的に、自分のスタンダードが「世の中の当り前」だと感じています。そうでなければ、人との出逢いで驚くことも、怖がることも、感動することも有り得ないでしょう。「えー、うそー」「ほんとに!?」「すげー!」「まさか」「何でだよ」という言葉が出てくるのは、あなたの“スタンダード”からはみ出した人や出来事に遭遇した時のはずです。
あなたのスタンダードを超える人や出来事との遭遇を「避けたり、排除する」ことは安全ですが、感動無き生活と人生になってしまうということです。
“感動とは、自分のスタンダードを超えたものとの遭遇である”と言えるでしょう。
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スタンダードを超えたところに感動がある 出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋
そうはいっても、忘れ物をする子どもには“イライラ”するでしょうし、未熟な部下や、甘えた後輩にも“ムカつく”でしょう。妻や夫が、まるで理解してくれないことにもイライラします。しかしその、「理解できない人たち」を「理解してみよう」と、一歩踏み出すことが自分のスタンダードを打ち破り、今まで気付かなかった発見やアイデアを与えてくれる機会になるものです。
自分の嫌なところと似ているから
“拒絶したくなるようなイライラ”の理由に、「相手の中に、よく似た自分を見る」というものがあります。これは心理学で「投射(投影)」と言います。
「自分と異質のものに遭遇するとイライラする」と書きましたので、矛盾するようですが、そうではありません。
例えば女児を持つお母さんたちの多くが、娘を見ていてとても嫌な感じがしてイライラすることがあります。それは娘が嘘をつこうとしているとき、ズルいことを考えているとき、叱られてお父さんに取り入って助けてもらおうとしているときなど、その前にわかってしまうからです。
「お母さんにはわかるのよ。あなたズルいことを考えているでしょ!」
これは、自分が子どもの頃にしていたことと、いま目の前で娘がしようとしていることがダブるからです。かつては自分の中にもあった、嘘をついて自分を守ることや、“女性”をつかってうまく取り入ることなど、思い出したくない部分なのでしょう。それは、まるで自分のイヤらしい、あるいは未熟な部分を再現ビデオで見せられている気分になるのです。
あるいは、未熟な部下にイラつく人も同じ文脈かもしれません。世間知らずで、仕事もできないのに社会をナメていたかつての自分を、目の前にいる部下と重ね合わせて見てしまうのでしょう。
これらの共通点は、今の自分とは違う―いや違うと思いたい、かつての未熟な自分を、相手を通してまざまざと見せつけられている気分になるということです。
つまり、「自分と相手は異質だ」と思いたいイライラなのです。
このイライラの解決方法も、「あきらめる」ことになります。相手の未熟さも、はしたない言動も、人間がみな持っている要素なのです。それは確実に、あなたの中にも存在するのです。
わが子を見ていて、部下や後輩を見ていて、何やら“痛痒い”気持ちになるとしたなら、かつての自分にもそういう時期があったのでしょう。
嘘をついて自分を守ろうとする人、うまく取り入って利益を得ようとする人を見つけて、許せないようなイライラを感じるとしたなら、自分にも同じ要素があるからです。
つまり「はしたないことを堂々とやるあの人は、私とは異質だ」と思いたいのです。でも実際には“同質”です。そのことを認めたくないから、イライラするのです。“自分との闘い”をしているわけです。
そうすると解決策はやはり、「自分も子どものころは、甘えていたよなあ」「新人のころは未熟だったよなあ」「嘘をついてでも、自分を守りたくなる弱さって、あるよね」と、自分にも同じような部分があることを、「あきらかにみとめる」ことでしょう。つまり、自分の未熟なところ、弱いところを“受け入れる”のです。
逆に、「受け入れたくない」ということは抵抗することですから、自分の未熟な部分を嫌っているのです。つまり、他人に対する嫌悪感には、「同じ未熟な部分を宿している自分」に対する“自己嫌悪”がその源にあるということです。
イライラ解消の方法は、やはり自分に対する“あきらめ”ということでしょう。
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自分と「似ているところ」が嫌い 出所:『「嫌いな人」のトリセツ 人付き合いがラクになる37の習慣』(総合法令出版)より抜粋
林 恭弘
ビジネス心理コンサルティング株式会社
代表取締役