『鬼滅の刃 柱稽古編』“原点回帰”の残酷展開が! 最終決戦への「恐怖演出」に期待の声も

『鬼滅の刃 柱稽古編』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

吾峠呼世晴さんの同名漫画を原作としたアニメ『鬼滅の刃 柱稽古編』第七話「岩柱・悲鳴嶼行冥」が6月23日に放送された。いよいよ迎える最終回の前話となる今回は、40分の拡大枠での放送となった。

今回はサブタイトル通り、鬼殺隊最強といわれる岩柱・悲鳴嶼行冥にスポットが当たる回。悲鳴嶼の課した修行を全てクリアした主人公・竈門炭治郎が悲鳴嶼の過去を聞くという内容が前半では描かれたが、それはなんとも初期の『鬼滅の刃』を思い出させる残酷なものだった。

■鬼を殴り殺す痛々しい悲鳴嶼の細腕

かつて悲鳴嶼は、寺で身寄りのない子どもたちを育てており、慎ましくも温かい生活を送っていた。しかしある日、その中の一人の子どもが言いつけを守らずに夜まで外を出歩いたことで鬼と遭遇。その子どもは、自分の命の代わりに寺にいる悲鳴嶼と子どもたちを犠牲にしようと鬼を寺におびき寄せた。

襲撃してきた鬼に子どもたちは次々と殺され、唯一悲鳴嶼の言いつけを守った一番小さい沙代という女の子だけが生き残る。

彼女を救うため悲鳴嶼は全ての力を振り絞って鬼をなんとか倒すが、朝になり、沙代は混乱のまま、みんなを殺したのは悲鳴嶼だと証言してしまうのだったーー。

『柱稽古編』は鬼殺隊の日常ともいえるような、比較的コミカルな内容が描かれていたため、つい忘れられがちだが、この救いのなさからは、どうしてもこれまで鬼によって虐げられてきた人間たちの悲しみや、むしろ鬼よりも愚かしい人間の姿を描いてきたこれまでの内容を想起させる。『鬼滅の刃』はこうした残酷な部分が描かれる作品だったのだと、改めて思い知らされた人も多いのではないだろうか。

何より、これまで人を殴ったことがなかったという、まだ若く細腕の悲鳴嶼が、武器もなくただ必死に鬼を殴り殺す様子は見ていて痛々しいものだった。

そのあとはいつもと様子の違う善逸の姿が描かれたり、風柱の不死川と水柱の冨岡の喧嘩、もとい柱同士の手合わせの後に炭治郎と冨岡のツッコミ不在のコミカルシーンが描かれたりと、「本当に来週が最終回?」と思わせる展開だったが、手合わせ帰りの不死川が「肆」と描かれた目玉を潰したところから物語の雰囲気が一変する。

ついに鬼殺隊の宿敵・鬼舞辻無惨が産屋敷邸を突き止め、ゆっくりと、しかし確実な足取りで産屋敷邸の入り口に現れたのだ。

その後、いつものようにHYDE × MY FIRST STORYによるエンディング曲『永久 -トコシエ-』が流れたと思いきや、映像が終わっても曲は終わらず、そのまま、無惨が産屋敷輝哉の前に姿を表せる様子が描かれた。

■いよいよ始まる最終決戦に向けての恐怖の演出

かねてより、それぞれが歌い分けているパートの歌詞が、 MY FIRST STORYのHiroが鬼殺隊の目線を、HYDEが鬼舞辻無惨の目線で歌っているのではないかとファンの間で言われていたが、その考察が的中したかのようなドンピシャの神演出だった。

3分程をかけて無惨がひたすら産屋敷邸までを歩く様子を描くという大胆な構成と、これからの激しい戦いを予感させる空気感にはドキドキハラハラしながらも、いよいよ最終決戦が始まるのかと少しワクワクしてしまった。

次回第八話はついに最終回。無惨が到着したことで、いよいよ鬼殺隊との戦いが始まることが予想されるが、放送後には今後の『鬼滅の刃』に対してファンの希望や考察が殺到。中でも「続きは映画3部作でやってほしい」というものがダントツに多かった。

『柱稽古編』のオープニングでもチラリと描かれている、まだ倒していない上弦や新しく上弦の肆となった鳴女、そして無惨のことを考えると、たとえ続きを映画でやったとしても一作では到底収まらないだろう。

またこれ以降の戦いにはグロテスクシーンや容赦ない展開も多いため、小さな子どものファンのことを考えると、もし映画になるのであればレイティングも気になるところだ。

そしてなにより、2020年に公開された映画『無限列車編』は戦闘シーンも演出も、どれをとっても信じられないほどのクオリティの高さだった。「映画化希望」の声が多かったのは、その功績があってのものだろう。

どちらにせよ、製作陣には、きちんとした制作期間をとって満足するクオリティで物語の最後までを描ききってほしいところ。ひとまずは次回最終回となる「柱稽古編」がどういった結末を迎えるか。放送枠も60分に拡大されるので、要注目だ。

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