【ブル中野連載#10】青森・八戸の体育館から北斗晶と脱走! このままでは全女が危ない…

(左から)コンドル斉藤、ダンプ、ブルで熱唱(86年3月)

【ブル中野・告白(10)】1986年8月にダンプ松本さんとWWWA世界タッグ王座を巻いた後、2人の関係が疎遠になった時期がありました。ダンプさんは話題になることや派手なこと、音が出るもの、みんなを驚かせることに重点を置いたと思う。でも私は、悪役でも感動させられる試合とか、レスラーとして見てもらいたい部分が強くなっていました。クラッシュ・ギャルズさん(長与千種&ライオネス飛鳥)に対抗し、少しは戦えるようになって、ダンプさんに言われたことだけじゃ「物足りないな」と思い始め、そこから確執が出てきてしまったんですかね。仕事はいつも一緒なんですけど、話さない期間もありました。

結局レスラーは一人なんだなと自覚し始め、18歳ぐらいのときからダンプさん、クラッシュさんには全女を任せておけないという気持ちになっていたのです。全女はどうしていくべきか、プロレスとはどうあるべきかを自分の中で考え始めている時期で、リングに出て「キャーキャー」だと続かないとわかっていたので、どう変えていくかを考え始めていました。

青森・八戸の体育館から北斗晶たちと逃亡したのも、このころです。当時、北斗と堀田祐美子はペアを組んでいて勢いがあった。会社もクラッシュを超えるペアをつくろうとしていました。この2人のペアなら、うまくいくかなという感じになっていたんですけど、それでまたイジメが起きたんです。(86年2月に)ジャガー横田さんが引退されてすぐ、デビル雅美さんがトップでやっていたころでした。

派閥ができたりして毎日地方巡業の練習で100発投げとかされていました。人気になりそうな選手、出るくいは打つってことですよね。このままじゃ殺されると思いましたが、中堅なので何も意見は言えない。何か行動を示そうと思った結果が脱走でした。

東京に戻った翌日、会社にイジメの現状を説明しました。そうしたら「わかった。お前らが練習で半殺しにされているとき、知らないふりして行って『何やってんだ!』って怒るから」って言ってくれたのですが…。何だそりゃ? 今この場で怒れよと思いましたけど(笑い)。

結局、私がいるときは表立ってイジメをすることはなくなりました。だけど、脱走者はそれから半年くらいは大変な思いをしましたね。ちなみに脱走による罰金は私が20万円で、北斗たちは10万円でした。87年4月には北斗が首を骨折するという事故が起こりました。それはイジメとは関係ないのですが、嫌なうわさが流れました。イジメは止められたけど、北斗の首が折れてしまったのは事実です。こうして88年、ついにダンプさんが現役を引退することになるのです。

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