7月3日で熱海土石流災害の発生から3年…土砂に街も心も呑み込まれ遺族・被災者の気持ちは晴れぬまま【静岡発】

静岡県熱海市伊豆山を襲った土石流は、2024年7月3日で発生からちょうど3年となる。ただ、1000日あまりが経過しても被災者や遺族の心の傷が癒えることはない。それが、“人災”の側面が強いとなればなおさらだ。

記録的な大雨の中で起きた大惨事

2021年7月3日。

この日も含め、静岡県内では数日間にわたって断続的に雨が降り続き、複数の地点で72時間降水量が観測史上1位の値を更新するなど、記録的な大雨となっていた。

午前10時28分。

熱海市消防本部に耳を疑うような通報が入る。

「向かいの家が地滑りで跡形も無くなった」

後に「(土砂が)自分のいる道路に来ていたら、部隊が全滅していてもおかしくなかった。とにかく巻き込まれたら命を落とすと思った」と振り返ったのは、通報を受けて現場へと出動し、住民に避難を呼びかけた消防職員の上田洋 警防主幹(当時)だ。

災害関連死も含め死者28人、被害を受けた建物は136棟。未曾有の大惨事となった。

発災翌日に副知事が“人災”を示唆

一見すると自然の脅威がもたらした痛ましい災害。

しかし、県の難波喬司 副知事(当時)は発災翌日、「開発の影響は正直あると思う」と“人災”であることを示唆する。

実は土石流の発生起点には大量の“盛り土”が造成されていた。もちろん、盛り土は土木や建設工事においてよく用いられる造成方法であり、決して盛り土=悪というわけではない。だが、当該の盛り土は申請当初から行政指導が繰り返され、作業が始まってからも木くずの混入や安全対策の不備など違法性が疑われる“代物”だった。

このため、遺族や被災者は盛り土が造成された当時に一帯の土地を所有していた男性と2011年に前所有者から土地を取得した男性を殺人などの疑いで告訴。

ただ、前所有者は「(造成の)許可は適正に下りている。実行為は当社(自身が代表を務めていた不動産会社)でやっていない」と話し、現所有者も「安全管理の必要性が私にあったのか、なかったのかも記憶にない。確認したこともない」と双方が責任を否定している。

“杜撰”だった行政対応

一方、“人災”を指摘した行政サイドにも“非”がないわけではない。

遺族や被災者たちは、県や熱海市に対しても「違法な盛り土の造成を許した」として損害賠償を求める民事訴訟を起こしているが、第1回口頭弁論を前に県が設置した第三者委員会は2022年5月、行政対応について検証した結果、盛り土の申請書などを市が受付・受理する際の審査や指導が不十分だった点や最悪の事態を想定せずに県と市が十分に連携と取らなかった点などを挙げ、「適切な対応が取られていたならば被害の発生防止や軽減が可能だったのではないか」と指摘した上で「本件における行政対応は失敗であったと言える」と断罪。

さらに、県議会の特別委員会はその第三者委員会の最終報告であっても「法令ごとの検証が十分に精査されているとは言えない」と糾弾し、県に対して再検証を求めた。

それでも、県は再検証の結果、「県が所管する法令で発生の抑止は困難だった」と結論付け、熱海市と共に“道義的な責任と法的な責任は別”との立場を崩していない。

警察はこの3年間、土石流災害に関連して県庁や熱海市役所を含む複数の関係先を家宅捜索し、膨大な資料の精査を進めているものの、慎重な裏付けや因果関係の解明が求められることからいまだ誰の立件にも至っていない。

おそらく、仮に誰かが立件されたとしても、遺族や被災者の溜飲が下がるということはありえないだろう。

とはいえ、誰が悪かったのか?誰に責任があったのか?といった点がうやむやのままでは、心が少しでも晴れる日は一向にやってこない。

(テレビ静岡)

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