“曲がった線路”当時のまま 『民家も全部なくなって』 肥薩線復旧で復興の兆し~豪雨から4回目の夏・被災地の思い~熊本

球磨川流域を襲った2020年の豪雨災害から4年。復旧の現在地と住民の思いを、溜池記者がリポートします。

当時のまま“曲がった線路”

熊本県南部、球磨川(くまがわ)の河口・八代市(やつしろし)に向かいました。

球磨川と並行し山肌を縫うように走る国道219号。

記者「新萩原橋を渡った先では、通行止めの表示がなされています」

道路の復旧工事のため国道219号は、いまも住民と工事車両の通行に限定されています。国道と並行するJR肥薩線。大きく曲がった線路は当時のままです。

道の駅 坂本

人吉方面に進むと「道の駅坂本」があります。

駅長と物産館の館長をしている道野真人(みちの まさと)さん。道の駅が被災したため、復興商店街の仮設の建物で営業をしています。

道の駅周辺は、これから本格的な道路のかさ上げ工事が始まります。これに伴い、仮復旧した道の駅の物産館の解体が決まり、道野さんは先の見通しが立てづらいと話します。

駅長・物産館館長 道野真人さん「国道が通行止めなので、何かイベントを開催したり、『ここに来てください』とは発信しづらい状況です」

そんな中、少しでも賑わいを取り戻したいと、商店街では球磨川のアユを堪能できる店が今シーズンもオープンしました。

道野真人さん「なかなか逆算は難しいんですけど、少しずつ何か街が復興していくっていうところも情報発信し、そこに向けて話し合いをする場が必要かなと」

多くの家屋が水にのまれた神瀬地区

国道をさらに進むと、多くの家屋が被害に遭った球磨村神瀬(こうのせ)地区があります。神瀬の2つの集落には、55世帯が暮らしていましたが、その多くの家屋が水にのまれました。

そして、いま。

記者「球磨川からの洪水被害を防ぐため、神瀬地区では住宅を4mほど持ち上げ、かさ上げ作業をしています」

4年が経ち、ようやく住宅の再建が始まります。しかし…。

神瀬地区の住民「民家もいっぱいあったけど、もう全部なくなって」

ふるさとに残ることを決めた住民は、いまも不安を隠せません。

神瀬地区の住民「だいぶ上に上がったけど、これで安心できる状態かといえばやっぱりそうでもない。この梅雨時期になると、今は雨が降っても怖いし、水がちょっとでも増えると、それも怖いです」

4年前の豪雨で、ふるさとの姿は一変しました。

顔なじみが住んでいた家や、月に一回通っていたという診療所もなくなり、被災前の集落の姿を忘れてしまいそうだと話します。

神瀬地区の住民「一所帯でも二所帯でも帰ってきてくれれば嬉しいんだけど、もう無理でしょうね」

復旧がなかなか進まない地域がある一方で、兆しが見えてきた地域もあります。

部分営業の再会・期待の星「SL人吉」

人吉市では、被災した多くの旅館が部分営業を再開しました。

人吉市商工観光課 山室義広係長「観客数の方も数値的には徐々にではあるが、回復傾向にはある」

そして、今年になってうれしいニュースも届きました。

記者「人吉駅の駐車場となっているスペースに、今年の秋ごろからSL人吉が展示される予定です」

インバウンドを含め、観光客を運んできてくれる肥薩線の復旧にも、多くの期待が集まっています。

人吉旅館女将 堀尾里美さん「肥薩線に対する思いはすごく大きいです。期待も大きいです。生かす方法を考えながら、どうやって運営するのかみんなで考えなくてはいけない」

復旧のスピードには地域間の差がありますが、その中で地域再生に向けた住民の期待や不安、まざまな思いを感じました。

記者:溜池陸人

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