休日にはブエナビスタ・ソシアルクラブを!

 入梅。

 暗闇に“くちなし”の香りがした。

 雨の匂いとともに、白い小さな花は官能的な香りを放ち、人を振り返させる。 

 誘惑的だが、どこか物哀しい花でもある。

ブエナビスタ・ソシアルクラブの名盤を思い出させるくちなしの花

 くちなしを歌った歌はいくつかあれど、わたしが小さく口ずさむのは、日本ではなく、キューバ人の歌。

 イブライム・フェレールの『2輪のくちなしの花』。

 イブライム・フェレールは、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の一員で

 キューバのナット・キング・コールと称された男である。

 彼はもうこの世にはいない。バンドのメンバーのほとんどが鬼籍に入られた。

 ブエナビスタといえば、ひと足先に映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブアディオス』(7月20日 日本公開)を試写で見た。

 2000年に日本上映されたブエナビスタ・ソシアルクラブ(以下BVSCと略す)を追った音楽ドキュメンタリーの名作の続編というか、完結編とでも言おうか。

 あれから18年も経ったのか……。

 イブライムも、コンパイも、ルベーンも、ほとんどのメンバーが亡くなったけれど、 彼らの音楽に“アディオス(さようなら)”は、なんとなく似合わない。

 彼らの音楽はまるで永遠に朽ちては返り咲く花のように“永遠”なのだ。

7月20日から日本公開の『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ アディオス』

 そう。そうやって彼らの歌は返り咲く。

 幾度も。

 雨の休日、私は彼らの歌を聴きたくなり、レコードを取り出す。

 BVSCを知らないという方のために簡単に説明すると、1996年に偶然が生んだキューバの長老バンド、とでも言っておこう。興味を惹かれたならば是非音楽を聴くといい。

 いや、もうちょっとミュージシャン的な側面に着目してみよう。

 イギリスのワールドミュージック・レーベル(レコード会社ですね)のニック・ゴールドの元へ、ライ・クーダーというアメリカの有名ギタリストが、キューバで何か録音しないかという「キューバ・プロジェクト」がきっかけだったそうだ。

 本当は西アフリカのマリからミュージシャンを呼んでいたはずが、アクシデントでキューバまで来られなくなり、録音メンバーを探しているうちに、キューバ音楽の長老たちが一堂に会した。

 革命以前から音楽をやっていたが、キューバではすでに忘れ去られたような、かつてキューバ音楽を盛り上げていた老ミュージシャンたち。

 それはディジー・ガレスピーやエディット・ピアフがまだ生きていて、目の前に集結しているような、ありえないような不思議な光景だったろう。

 キューバの旧市街ハバナで録音されたそのアルバムは、97年にグラミー賞受賞、あっという間に世界を席巻し、98年にはなんと米カーネギーホールでコンサートの開催に至る。

 その模様を収めたのが、99年公開のヴィム・ヴェンダース監督作品『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。

 この映画をきっかけにキューバ音楽やキューバに目覚めた人も多いはず。

 98年に偶然キューバに行った私は、まだ彼らの存在も知らなかった。

 さて、雨の休日に私が愛聴するこのレコード。開け放った窓から湿度の高い空気が入り込み、部屋の壁に鳴り響く音は、憂いあり艶っぽくすらある。

 革命前のキューバ・ハバナの歌と踊りの饗宴の夜とは違って、彼らはロマンと人生と哀しみを奏で歌い、なんとも音楽と人との距離感が近い、というか狭い。思わず口づけてしまいたくなるほど。

 狭い社交場で思い思いに奏でられた音、愛を囁き嘆く歌。富というより貧しさ。サンティアゴ・デ・クーバからハバナの大都会にまで出稼ぎに行くための歌というような、行ったことも見たこともないその長い道のりが見えてくる。

 狭い社交場で体をぴったりくっつけて踊った時に、首筋にそっと口寄せられ囁かれた愛の言葉すら感じられる。

 そんな不思議な臨場感が封じ込められた一枚。

 きっと録音された環境がいいのだろう。

 アルバムのジャケットを開くと、ハバナのスタジオでの録音風景の大きな写真がある。天井近くに置かれたマイク2本。演奏する彼らの距離は至って近く、なんだかファミリア的接近感。

ジャケット見開きの写真はレコーディング風景だった

 そんな状況で録音されたこのレコード。

 録音技師は、ロンドンのアビイロード・スタジオで、ビートルズやピンク・フロイドなどの録音なども手がけたジェリー・ボーイズ。

 マスタリング・エンジニアは、世界最高峰と呼ばれるバーニー・グランドマン。

 マイケル・ジャクソン、キャロル・キング、プリンス、日本人ではユーミン、ピチカート・ファイヴなど、案外知らぬ間にグランドマンによるマスタリングの音を耳にしている人も多いだろう。

 ハバナの空気感がそのまま我が家に広がる音の奥行き。

 そんなレコード盤を何度も繰り返し聴いていると、毎度嬉しい発見があったりして、本当に飽きずに何度でも聴ける名盤だ。

 彼らの魅力は音以外にもある。

 老ミュージシャンたちはとにかく“粋”。

 それは、紳士がそこらへ買い物に行くのにTシャツ短パンでふらふら出歩かないのと等しく、ステージでの彼らはいつもバリっとジャケットやシャツに革靴、帽子を被り、葉巻やラム酒を楽しみ、女を愛し、人生を謳歌する秘訣を教えてくれたりする。

女と葉巻とラム酒が似合う粋なコンパイ・セクンド

 長老のコンパイ・セクンドの取材で自宅へ伺った夫曰く、飼っている亀や栽培しているアボカドを見せてくれたり、気さくなジェントルマンだったという。

 私が大ファンだと伝えると、コンパイ顔写真が入ったリングのコンパイ印の葉巻とコンパイさんちのアボカドの種をお土産にいただいた。

 葉脈しっかりと青々しいアボカドの葉。しばらく大事に育てたが、東京の気候に馴染めなかったのか、ほどなく枯れてしまった。

 低音の魅力に溢れた歌声と負けん気の強いギターのノリが印象的なコンパイ。

 女が放っておかないであろうあのやんちゃな笑顔、低音の魅力。キューバの伊達男ぶりがそれに覆いかぶさって、ぐっと人を惹きつける。BVSCでブレイクする前は葉巻工場で働いていたと聞く。

 50年代にハバナ・キューバで喉を鳴らしたイブライム・フェレールも、BVSCに参加しなければ、一生靴磨きで終わったかもしれない、鳥打ち帽子がトレードマークでラム酒好きのシャイな男だ。

アルバムジャケにもなったイブライムの人生はBVSCとともに花ひらく

 そういえば、イブライムが映画の中で言っていた台詞が忘れられない。

 “私は恨みでいっぱいで歌が嫌いになっていた、音楽に幻滅していたんだ”

 生きる希望も失せるほど、音楽に幻滅して音楽から離れていたという。 

 そんな彼に、ブエナビスタ・プロジェクトの誘いが舞い込んで来る。

 シャワーも浴びず靴墨のついたズボンのままで、急いでレコーディングスタジオに向かったイブライム。バック・コーラスのみの参加のつもりだったが、「カンデラ」という歌を古い仲間と歌ううちに、彼の中の何かが溶けていった。

 カンデラとは炎の意味だ。

 そのうち、セロニアス・モンクとフィリックスキャットの動きのようなピアノ弾きのルベーン(当時77歳)が即興で何かを弾き始めると、イブライムはあの歌を歌うのだった。

 『2輪のくちなしの花』を。

 スタジオにいたみんながその美しさに息を飲んだ。

 何度聴いても心を鷲掴みにされるあの歌声。

 恋人の裏切りに勘付く枯れたくちなしの花、甘く切ない愛の歌。

 そこから人生の花が開いたイブライム、70歳だった。

 BVSC結成、ワールドツアーで世界中にキューバ音楽を振りまき、来日もし、ロンドン・ハイドパークでは1万4000人を集め、大成功を収めた。

 思えば、親が好んで聞いていたペレスプラード楽団などでキューバ音楽には子どもの頃から慣れ親しんではいた。

 やがて大人になって、キューバ音楽にはソンと呼ばれる伝統音楽があることを知り、キューバ音楽も革命以前と以降では微妙に違うことや、BVSCの音楽に出会って、人生の機微や男の流儀じゃないけれど、彼らの音楽にホセ・マルティ精神が健在だったり、人生を謳歌することの秘訣を学ぶとは、恐るべし長老楽団。

 「愛がなければ花は枯れる」

 「キスがなければ愛は消えるのだ」

 6月の雨に濡れた2輪のくちなしの花を愛でながら、ふと彼らが咲かせた音楽に耳を傾ける。180グラムのレコードに針を落とし、氷なしのラム酒と葉巻を燻らす。

 そんな雨の休日、しみじみといい感じ。

猫も魅了するくちなしの香り、コンパイさんちの亀と葉巻とあたし

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