狩野川台風60年、語り継ぐ 静岡の小学校で防災教育、神奈川にも爪跡

 60年前に静岡や神奈川で猛威を振るい、1200人を超える死者・行方不明者を出した台風があった。一時は「戦後最強」の勢力となり、三浦半島付近に上陸した「狩野川台風」。伊豆半島を流れる同川流域の被害が際立ったが、鶴見川が氾濫するなど神奈川にも大きな爪痕を残し、治水対策が進むきっかけになった。深刻な水害が相次ぐ中、当時の記憶をいかに継承していくかが問われている。

 「狩野川台風は遠い昔の出来事ではない」「安全という気持ちは捨てて、豪雨の時は避難します」

 29日、静岡県伊豆の国市で開かれたシンポジウム。60年前に多くの児童が犠牲になった伊豆市立熊坂小学校の4年生がそれぞれの思いを「宣言」した。

 討論では、中学2年の時に狩野川台風に遭った伊豆の国市の小野登志子市長が流木の間に遺体が横たわる凄惨(せいさん)な現場を振り返り、「被災状況を語れる人は少なくなった」と指摘した。

 蛇行しながら駿河湾へ注ぐ狩野川では、1958年9月26日に襲来した台風22号で堤防が次々と決壊。山肌を削る土石流が流れ込んだためで、流域だけで853人の死者・行方不明者を出す惨事となった。

 その反省から受け入れ容量を増やす計画変更が行われた狩野川放水路が65年に完成して以降、犠牲者が出た水害は起きていない。当時の経験を伝える資料館もあるが、「語り部の担い手は限られている」(体験者でボランティアガイドの谷口隆太さん)という。

 このまま風化させてはならないと、流域市町や国土交通省沼津河川国道事務所などが2014年に「狩野川台風の記憶をつなぐ会」を設立。取り組みの柱の一つに小学校での防災授業を掲げる。熊坂小でも実践した伊豆の国市立長岡南小の勝呂義弥校長はこの日のシンポで、「想像力や判断力を高めようと取り組んでおり、家庭で防災のことが話し合われるなどの成果が出ている」と強調した。

 狩野川台風で氾濫し、下流を中心に約30平方キロが浸水した鶴見川も課題は共通している。腰まで漬かった経験のある横浜市鶴見区の畑芳夫さん(78)は「対策が進んで水害が起きにくくなり、恐ろしさを知らない住民が増えた」と懸念。鶴見川を管理する同省京浜河川事務所も防災教育に本格的に取り組もうと、教材づくりなどに着手している。

 ◆狩野川台風の神奈川県内の被害 神奈川県災害誌によると、死者93人。約900棟が全半壊・流失し、6万5千棟以上が床上・床下浸水した。鶴見川の洪水で鉄道や国道も不通となり、帷子川も氾濫。横浜市内では土砂崩れも多発し、61人が死亡した。横浜の1日の雨量は287ミリに達し、明治以来の観測記録を更新。横浜、川崎、藤沢、鎌倉、横須賀、逗子の各市に災害救助法が適用された。

狩野川台風の記憶を語り継ごうと、それぞれの思いを「宣言」する児童=静岡県伊豆の国市の長岡総合会館

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