第5回:BCPに不可欠な「ドメインナレッジ」 普段使いしていないシステムは災害時に使えない

今回取り上げるのは前回ご紹介した双葉町の北部に隣接する福島県浪江町です。今回の事例でも、主に経済資本と組織資本、人間資本の働きがよく分かると思います。どの事象がどのキャピタルに当てはまるか、考えながら読んでみてください。

■2011年3月11日
大津波の第1波が浪江町沿岸に到達したのは、2011年3月11日15時33分でした。町内には12カ所の避難所が開設されました。地震直後から停電が発生したため、町役場では外部との連絡手段が利用できなくなってしまいました。そのため、情報源はバッテリ―稼働のテレビなどに限られました。原発の被害状況に関する国からの情報は、一切入ってこない状況となったのです。

■3月12日
翌3月12日の午前、浪江町長(当時)はテレビなどの情報を頼りに、東京電力福島第一原子力発電所から半径10キロメートル圏外への避難を決定しました。同日13時、町災害対策本部が同町北西部にある津島支所へ移転しました。浪江町の情報部門職員は、津島支所へ避難する際にパソコン3台を庁舎から持ち出しました。さらに津波による被災者特定のため、住民基本台帳データをCSV形式で吐き出し持っていったのです。それ以外のデータについては持ち出す余裕はありませんでした。
同日15時36分に同発電所1号機が水素爆発を起こしました。津島支所では固定電話が使えず、福島県が提供した2台の衛星電話を県などとの連絡に利用しました。

■3月13・14日
3月13日15時41分、同発電所1号機で再び水素爆発が発生、14日11時1分、同発電所3号機でも水素爆発が起こりました。

■3月15・22日
3月15日4時30分、町長は独自の判断で町外への避難を決定し、西に隣接する二本松市へ町民の受け入れを依頼しました。同日10時、町長が浪江町全域に避難指示を発令、町民と職員は二本松市東和支所への避難を開始しました。職員は、庁舎から津島支所に持ち出した3台のパソコンと、津島支所に元々設置されていた7台のパソコンの合せて10台を二本松市へ持ち出したのです。
3月22日からは罹災証明書の発行を開始しました。

■4月22日
4月22日、福島第一原子力発電所半径20キロメートル圏内が警戒区域となりました。この区域には、浪江町の一部も含まれていました。

■5月23日
5月23日、二本松市郭内にある福島県男女共生センターに行政機能が移転されました。

キャピタルの種類と定義*

 

仮庁舎の置かれた福島県男女共生センター(2011年12月9日撮影)

福島県男女共生センター入り口(2011年12月9日撮影)

避難者名簿の作成と生存者確認

2012年10月1日からは、二本松市内の仮設庁舎で業務を再開しました。

情報部門職員が発災後に従事した最大の仕事は、避難者名簿の作成と生存者確認でした。職員は、町民が避難所で書いた手書きの名簿をエクセル形式で入力することになったのです。担当者は、名簿作成の際、避難者の方に「ひらがなの名前」と「生年月日」を書いてもらうべきであったと振り返っていました。この二つのデータを住民基本台帳と突き合わせれば、一番正確な名簿を作成することができたからです。実際には、避難所で書いてもらった名簿には名前と住所のみの記載が多く、手書きの住所と、職員がCSV形式で持ち出していたデータを突き合わせてもヒットしない場合もありました。さらに、避難所から親戚の家に移動するなど、町民の避難先は常に変化していたため、所在を特定することは困難を極めました。

スペースの都合上詳細な記述はできませんが、東日本大震災後に東北の被災自治体の情報システム部門を回っていて最も多く挙げられた業務が、「避難者名簿の作成」「避難者名簿と住基データとの突き合わせ」でした。被害が甚大で広範囲にわたったこと、さらには浪江町や前回の双葉町のように町がまるごと移転した例などがあり、住民の所在特定が非常に難しい状況となったのです。これらの業務がなぜ大切だったかというと、災害が発生すると、被災自治体には全国から安否確認の問い合わせが殺到するためです。特に東日本大震災では通信インフラが影響を受けたため、被災地域に家族や親戚、友人が住んでいて安否を確認したい――というニーズが多くあり、被災自治体では日々外部からの問い合わせ対応に追われることになりました。各避難所で作成した避難者名簿を集約し、電源が復旧してからはパソコンに入力していくことになったのですが、この時、最も利用されたアプリケーションがエクセルだったことは、調査の発見の一つでした。

前回登場した双葉町でも、避難者名簿の作成および管理は、さいたまスーパーアリーナ移転時より、エクセルで行っていました。担当者は、職員が日ごろ慣れ親しんでいるエクセルの使い勝手に勝るシステムはなかった、と振り返っていました。

 

普段使いしていないシステムは災害時に使えない

東日本大震災以降度々聞かれるようになったことですが、「普段使いしていないシステムは災害時には使えない」というのは本当で、大切な教訓の一つであると思います。日常業務の中で職員に蓄積されていく知識や慣れといった、BCPなどでは明文化しにくいものが、災害時の対応において重要となります。私たちはこういった、明文化しにくいけれども、日々蓄積され形成される、特定分野における知識のことを「ドメインナレッジ」(Domain knowledge)と呼んでいます。ドメインナレッジは、災害復旧プロセスを加速させる要素の一つであり、その観点からは、前回のテーマで取り上げた社会関係資本と同様の働きをすることがお分かりいただけるかと思います。

今回の事例でいうと、浪江町でも双葉町でも、職員の方は普段エクセルを使い慣れていて、いざというときの対応(避難者名簿の作成)には、独立した外部のシステムではなく、エクセルを使って自分たちで名簿を作ったということです。事例は異なりますが、他のいくつかの自治体では、支給された衛星携帯電話の使い方が分からず(相手先の番号が分からなかったり、発信の仕方が分からなかったり)、連絡手段として有効に活用することができなかったケースもありました。災害対応に特化した情報システムを、いざ必要になったとき(災害発生時)のみ使おうという意識ではなく、普段から使い込んでおくことが重要となります。

  • A. Dean and M. Kretschmer, “Can Ideas be Capital? Factors of Production in the Postindustrial Economy: A Review and Critique,” Academy of Management Review, vol. 32, no. 2, 2007, pp. 573-594. および M. Mandviwalla and R. Watson, “Generating Capital from Social Media,” MIS Quarterly Executive, vol. 13, no. 2, 2014, pp.97-113. を改変。

(了)

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