被爆地とカトリック 法王来崎を前に(5) 完 【祈り】 長崎を最後の被爆地に

ローマ法王フランシスコの来崎への思いなどを語る高見三明大司教。左奥は被爆マリア像=長崎市、浦上天主堂

 東西冷戦期の1981年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は「戦争は人間の仕業」と被爆地から世界へ訴えた。カトリック長崎大司教区の高見三明大司教(73)は「今までにない強烈な印象だった」と回想する。
 あれから38年。世界には今なお約1万4千発の核弾頭が存在する。米国とロシアの軍拡競争が懸念され、イランや北朝鮮の核問題の先行きも不透明だ。そんな中で、11月に法王フランシスコが訪日し、被爆地から再び核廃絶と平和を訴えるとみられる。大司教は「世界の政治家や権力者を動かす強いメッセージを」と期待を込める。
 江戸幕府の禁教令の下、長崎では多くの潜伏キリシタンが信仰を守り続けた。大司教は潜伏キリシタンの末裔(まつえい)であり、胎内被爆者でもある。
 長崎市三ツ山町の大司教の姉、田川代枝子(よしこ)さん(86)によると、母は爆心地から約4キロの自宅近くの田んぼで被爆した時、妊娠中のおなかを守るようにその場に伏せ、わが子を守った。
 被爆して全身をやけどした祖母や叔母らは死亡した。大司教は被爆から7カ月後に生まれた。田川さんは「貧弱で無事に育つか心配した」という。その子は無事に成長し、長崎の約6万人のカトリック信者をまとめる存在になった。
 日本カトリック司教協議会会長も務める大司教は今月、8月の「平和旬間」に向けた談話を出した。真の平和のためには「核の脅威の払拭(ふっしょく)」に加え、経済、家庭、宗教などあらゆる面で全ての人が豊かにされる必要があるとして、「それぞれができることから始めよう」と呼び掛けた。
 大司教は、県九条の会や、「北東アジア非核兵器地帯」の実現を訴える宗教者キャンペーンなどの呼び掛け人も務めてきた。平和を実現するため、今後も平和を願う人々との「連帯」を重視していく考えだ。
 大司教の父・勝代さんは永井隆博士と親交があった。高見家には、新築時に博士が贈った「新しき家たちにけり みおやより傳(つた)えし おしえ栄ゆる御代(みよ)に」としたためた色紙が残る。
 大司教は博士について「潜伏キリシタンのような強い信仰と、愛の精神、平和を願う気持ちが一体になっていた」と尊敬の念を込めて評価する。「とにかく、長崎を最後の被爆地にしないといけない」と決意を口にする。それは博士、ヨハネ・パウロ2世、そして被爆した多くの信徒たちが願った「長崎の祈り」でもある。

【連載】被爆地とカトリック 法王来崎を前に

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