グリフィーがパイレーツ? ドラフトのルールがMLBの歴史を変えた

現在のドラフト制度では、前年のメジャー最低勝率チームに全体1位指名権が与えられているが、2004年までは各リーグの最低勝率チームに交互に与えられていた。これにより、マリナーズはケン・グリフィーJr.(1987年)とアレックス・ロドリゲス(1993年)を全体1位で指名することに成功。これ以外にもメジャー最低勝率のチームが全体1位指名権を得られなかったケースは多数ある。現在と同様にメジャー最低勝率チームに全体1位指名権が与えられていれば、メジャーの歴史は大きく変わっていた可能性があるというわけだ。

ジ・アスレチックのスティーブン・J・ネスビットによると、旧制度下でメジャー最低勝率チームが全体1位で指名できなかったケースは25度もある。たとえば、1965年の第1回ドラフトでアスレチックスはリック・マンデーを全体1位で指名したが、前年のメジャー最低勝率チームはアスレチックス(.352)ではなくメッツ(.327)だった。

全体1位指名権を各リーグの最低勝率チームに交互に与えるというルールにより、マリナーズは1987年のドラフトでグリフィー、1993年のドラフトでロドリゲスの獲得に成功。現在のルールでは、1987年はパイレーツ、1993年はドジャースに全体1位指名権が与えられるはずだった。

同様に、1989年のメジャー最低勝率チームはタイガースだったが、1990年のドラフトではブレーブスに全体1位指名権が与えられ、チッパー・ジョーンズを指名。タイガースは全体2位で現在のメジャーリーグ選手会専務理事であるトニー・クラークを指名した。

2001年のドラフトでは、ツインズが全体1位で地元出身のジョー・マウアーを指名したが、前年のメジャー最低勝率はカブスだった(カブスは全体2位でマーク・プライアーを指名)。ちなみに、ネスビットは旧制度下での「最大の勝者」にマリナーズを挙げている。

では、2005年以降も旧制度が続いていたら、どうなっていたのか。2008年と2010年にア・リーグ最低勝率を記録したマリナーズは2009年と2011年のドラフトで全体1位指名権を与えられ、スティーブン・ストラスバーグとゲリット・コールを指名することが可能だった(2009年は全体2位でダスティン・アクリー、2011年は全体2位でダニー・ハルツェンを指名)。

フェリックス・ヘルナンデス、ストラスバーグ、コールという先発三本柱を揃えたマリナーズは、ひょっとすると球団史上初のワールドシリーズ制覇を成し遂げるチャンスがあったかもしれない。旧制度下での「最大の勝者」がマリナーズである一方、制度変更による「最大の敗者」もマリナーズであるのは非常に興味深い。

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