父に続く甲子園を夢見てきた長崎商不動のリードオフマン、石川の3年間が幕を閉じた。1991年に瓊浦の主砲として春夏ともに聖地に立った父、敏之さんは「(甲子園が中止になり)自分なら“もうよかさ”となったかもしれないが、よく頑張った。お疲れさん、つらかったなと言いたい」と声を詰まらせた。
九回、中堅の守備で打球に飛びついたが、無情にも届かずサヨナラにつながる三塁打を許した。「捕れると思った…。いい試合だったから、ずっと続いたらなと感じていた。本当に申し訳ない」と大粒の涙をこぼしたが、攻守で何度もチームを救ってきた主力を責める者は誰もいない。西口監督も「彼がいたからこその攻撃力だった。最後も守りで攻めてくれた結果だから」とねぎらった。
小学1年生から始まった野球人生はまだ続く。今後への貴重な経験をさせてくれた仲間や両親、指導者らに「感謝しかない」という言葉を残して、背番号8は高校野球を“卒業”した。