『生き抜いた達者な母』 山下由美子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 1月末、母が救急車で運ばれ入院。肺炎で危篤状態が続き、姉と弟は喪服持参で病院に駆けつけ、主人は葬儀の予約を入れました。先生や看護師さんのおかげで奇跡的に回復し3月に退院することができました。
 昭和19年に結婚した両親は、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)から汽車で1時間ほどの場所にあった社宅に住んでいました。平和な日々が続いていたのですが、終戦後、状況が一変し、男性たちはどこかに連行され、母も恐怖に震える毎日でした。日本に帰りたい一心で逃亡を決意。リュックサックを背負い、ゴザを手に持ち、夜は松林の中を歩き、昼は川の中を首まで漬かりながら渡り、生きるため必死で頑張ったそうです。同伴者の中では老人や幼児が何人も亡くなったということです。
 韓国の境界線までたどり着くと捕虜収容所で取り調べられ、何とか釜山(プサン)まで行く汽車に乗り、引き揚げ船に乗ることができたそうです。やっと佐世保港に着いたと思うと、今度はコレラが流行していて下船できず、また何日も海の上で停泊生活。姉を妊娠していた母は栄養失調のため衰弱した状態で上陸しました。
 その母も、今年で百寿を迎えます。戦中の話を聞くことができたことに感謝です。
(長崎市・主婦・71歳)

© 株式会社長崎新聞社