なぜ川崎宗則は“100人中100人”に愛される? 本人が語る“自己愛と助け合い”

BC栃木・川崎宗則【写真:荒川祐史】

2006年WBCで二遊間を組んだ西岡剛が「ひまわり」に例える川崎の存在

その空間がパッと華やぎ、活気に満ちる。試合でも練習でも、グラウンドには最年長39歳の声ばかりが響いている。元ソフトバンクの川崎宗則内野手が、独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに加入して1か月余りがたった。チームに溶け込むどころか、すでに輪の中心にいる姿は、元気印「ムネリン」たるゆえんを存分に感じさせる。

出会い頭の一振りで、栃木のファンを虜にした。9月13日の独立リーグデビュー戦。初打席に立ち、初球に来た直球を右翼越えの特大弾に変えた。スタンドのどよめきはしばらく収まらず、次第に割れんばかりの拍手へと変わった。決勝点となる1号アーチでその試合のMVPにも選出。ヒーローインタビューで「川崎宗則と申します!」と丁寧に挨拶し、深々と一礼する姿勢にまた拍手が沸き起こった。

今季当初は無所属だった川崎は、実戦機会を求めて栃木に加入。チームの若手の中には、NPB入りへのアピール機会が減る危機感を抱く声もあった。だが、それも一振りで変わった。「10か月も実戦から遠ざかっていて、いきなり初球を……。すごいとしか言いようがないし、やっぱりスターだなと」。ある若手がそう言うように、選手たちはすっかり目を輝かせていた。

周囲を魅了するのは、プレーだけではない。快活な人柄に接してきた球界の後輩たちはよく「ムネさんのおかげで」「ムネさんがいたから」と言う。ともにプレーする夢を栃木でかなえた元阪神の西岡剛内野手も、そのひとり。世界一に輝いた2006年のWBCで二遊間を組んだ盟友はかつて、川崎の魅力を「ひまわり」に例えてこう言った。

「ムネさんがチームの輪に入った瞬間、周囲にパッと光が当たって明るくなる。まるで、そこにひまわりが咲いたかのように。日本でも、アメリカでも、どこに行っても変わらない。100人いたら、100人全員から好かれるのがムネさんなんですよね」

15年以上の付き合いを重ねて、さらにその実感は増している。西岡自身も、何度も助けられてきた。チーム最年少だったWBCでは「剛はそのままで行きなさい」と言ってもらい、臆することなくプレーができた。2018年限りで阪神を戦力外になった後も、川崎が台湾でプレーする姿に「自分の中で火がついた」。NPB復帰をとことん目指す原動力のひとつになったと感謝する。

「幸せも痛みも誰かに分けてやるんだよね。ミスした人たちも、僕に分けてほしい」

単なる「いい人」では語り尽くせない魅力。川崎に自分自身を分析してもらうと「それはわかんないね、僕も」と頭をかいた。その直後、「だけど」と付け加えて“愛され”のヒントを示した。

「僕が僕を好きなんですよね。自己中。自分が大好き人間。それを周りのみんなが分かってくれているだけかな。あとは、自分が好きなのであまり人に干渉しない。干渉する人って嫌われるでしょ? いい意味でも、悪い意味でも周囲に流されやすいところはあるんだけど、いつもあっけらかんとしてますよ、僕は」

グラウンド上では、揺るぎない信念でプレーを続けてきた。日本、米国、台湾と様々な環境に身を置いてきたからこそ分かった思いをこう語る。

「出会った人たちを幸せにしないと、楽しくないよね。野球なんか特にそう。自分ばっかりいいプレーをして喜ぶのもいいだろう。ただ、やるからにはチームとしてみんなで喜びたいし、励まし合いたい。幸せも痛みも、誰かに分けてやるんだよね。ミスした人たちも、僕に分けてほしい。じゃないと、野球なんてやってられないよ」

だから、グラウンドで声を出す。ピンチを迎えた投手に歩み寄る。絶対にネガティブなことは言わない。「ミスして当然のスポーツ。持ちつ持たれつの助け合い。だから、俺が元気がない時は任せたぞって(笑)」。その言動ひとつひとつが周囲に響き、力になっていく。

栃木での公式戦も残りわずか。新型コロナウイルス感染拡大による情勢を見極めながら、来季は再び台湾でプレーすることも視野に入れる。「フラフラしますからね。また次、自分がどこにいくのか。安定感ゼロな男なので(笑)」。国内か、海外か。場所はどこであれ、川崎は誰かの痛みを受け取り、活力を届けていく。(小西亮 / Ryo Konishi)

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