ファクターXは我々を守ってくれるのか?

ベルギーに渡った邦人医師からみた日本のコロナ禍

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佐々木田鶴

ライター・ジャーナリスト

佐々木田鶴

ライター・ジャーナリスト

ささき・たづ 上智大学卒。欧州連合(EU)の主要機関が集まるベルギー・ブリュッセルをベースに、欧州の政治・社会事情(環境、医療、教育、福祉など)を中心に発信。駐日EU代表部の公式ウェブマガジン「EU Mag」や「ハフィントンポスト」などに執筆。

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新型コロナウィルス感染のイメージ図 By UteQuintoC - CC BY-SA 4.0

 欧州で新型コロナが再び猛威を振るっている。第1波の教訓を基に、市民一人一人が本気で生活様式を変貌させ、国をあげて医療資源を調達、病床数や集中治療室病床数も倍増させたのに、だ。慎重な封鎖解除も順調に進んでいたようにみえた。日本の100倍近い致死率の高さは、衛生観念や民度というような理由で説明できるものではないだろう。日本を含む東アジアで、欧米に比して被害が極端に小さい現実に多くの研究者が注目している。中でも、パンデミック前に日本からベルギーに赴任し、いったん帰国後再びベルギーで暮らす日本人医師の分析はとても興味深いものだった。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)

 ▽悲惨! ベルギーの実態

 3~4月の第1波で、ベルギーは単位人口あたりの死者数で世界一と汚名を拝した。しかし半年の間に、PCR検査能力は1日当たり7万件まで増強。病床数や集中治療室数、人工呼吸器はもともと世界有数の充実度だったことから、第1波では医療崩壊に陥らずに乗り切った。

 だが、10月からの第2波で、再び「世界一の感染率」と報じられるようになった。9月時点で、政府は1日当たり新規陽性者を200人以下に留めたいとしていた。が、あっという間に広がり、現在は、1日に1万5千人以上のペースで増えている。日本で言えば、毎日15万人の新規陽性者ということになる。今や医療の前線で戦う医師や看護師への感染拡大と集団的疲労という事態を招いてしまっている。医療現場に、市民の間からボランティアが募られ、軍隊も動員されている。

フランスでの学会発表時の森英毅医師 (c) Hideki Mori

 ▽衛生意識、ウイルス弱毒化では説明がつかない

 2019年からベルギーのルーヴェン大学医学部に博士研究員として勤務する医師森英毅氏(37歳)は、慶応大医学部出身の消化器病専門医だ。機能性消化管疾患・ピロリ菌感染症などに詳しい。ベルギー赴任から半年もたたないうちに欧州が新型コロナの震央となったため、3月に急きょ家族とともに日本に戻った。しかし、第1波が沈静化した6月にベルギーに戻った。

 3人の子どもを育てながら、地元のラグビーチームにも参加し、地元社会にも積極的に関わる。感染症専門医や公衆衛生の専門家は、欧州にも日本にも数えきれないほどいるが、歴史に残るこのパンデミックを、欧州と日本の両方で、医学と生活の両面から、つぶさに見つめる医師の視点は貴重だろう。

 「欧州は日本に比べ衛生意識が低い、新型コロナウイルスは弱毒化したので怖くない、ヨーロッパでは検査を不必要に広げたから陽性者数をいたずらに拾っただけ…。こうした考えは間違っています」。筆者の問いに答えて、森医師はこう断言した。実際にベルギーで暮らし、人々の行動変容を目の当たりにし、同僚の研究医らと意見交換して得た結論だ。

 第1波の苦い経験から個人や社会、政治・行政が多くを学び、ベルギーの人々は新しい生活様式に適応し、検査体制や医療資源の補強を短期的に達成してきた。おかげで第2波初期は病院や老人施設での感染対策がうまく機能し、入院者数や死亡者数が低く抑えられていた。にもかかわらず、今や指数関数的な感染拡大となってしまった。

森英毅医師の著書

 ▽ファクターXとは何か

 森医師は、ベルギーと日本での観察と分析を著書「コロナパンデミック―世界最悪の致死率のベルギーからの若き内科医のリポート」にまとめた。その著書の中で、「感染症を考える際には、必ず感染症因子(細菌、ウイルス)と宿主(ヒト)因子の双方向を考える必要がある」と指摘している。

 今回、このことについてさらに尋ねるとこう説明してくれた。「欧州での第2波の状況を考えると、ウイルスが弱毒化していると考えるのは難しい。欧州と日本を含む東アジア全体での感染者数や死亡数の大きなギャップを見ると、ウイルス側の因子よりも、宿主であるヒトの遺伝子や免疫機能に著しい違いがあると考えるのが順当だ」

 森医師は、著書の中で、以下のようないくつかの宿主因子の仮説を紹介している。

 重篤化するケースで、免疫機構の過剰反応(サイトカインストーム)が起こることは、今では一般によく知られている。森医師は、その原因としてヒト白血球抗原(HLA)やACE受容体などの遺伝子要因関与の仮説に言及している。さらに、粘膜の免疫防御反応をつかさどるIgA(免疫グロブリンA)の先天的欠損による免疫異常、つまり選択的IgA欠損症が関与するという仮説も紹介。欧州人と、日本人を含む東アジア人の間で、選択的IgA欠損症の有病率に顕著な差異があることは医学的に分かっているという。

 一方、後天的要因の仮説もある。日本を含む東アジアでは、結核予防ワクチンBCGによって、新型コロナへの免疫がある程度獲得されているという交差免疫説は、ひところかなり話題になった。BCG接種率の高い国で感染者が少ないことは早くから指摘され、接種しないベルギーなど欧米諸国で猛烈な感染や重篤化が起きている現状を目の当たりにすると、免疫学には素人の筆者にもふに落ちる。

 だが、BCG接種が行なわれている国・地域間で見られる感染状況の大きな違いはどう説明できるのかと森医師に尋ねてみた。すると、森医師は、BCGワクチンを作る基となる菌の株の違いによるのではないかという説をあげた。日本株のBCGを接種する日本やアジアと、デンマーク株やロシア株のBCGを接種する国々で差が出ているかもしれない、と。

 森医師は、著書の中で、「川崎病」との関連についても触れている。パンデミック以降、欧米では新型コロナによる「川崎病」に似た症状をきたす症例が報告されてきた。川崎病はアジアで乳幼児によく起きる原因不明の炎症性疾患として知られるが、コロナ禍では日本を含む東アジアで同じような症例の報告はない。川崎病の原因としては新型コロナ同様、サイトカインストームが有力な仮説の一つだ。特徴的な症状の一つに「BCG接種部位の発赤・痂皮(かひ)形成」があるが、これまでBCGとの直接的な関連性は認められてこなかったのだと説明した上で、これらをつなぎ合わせると次のような仮説が成り立つことを丁寧に解説してくれた。

 「特定株のBCGには、新型コロナウイルスが持つ『スーパー抗原』に良く似た成分が含まれ、接種を受ける乳幼児のごく一部はサイトカインストームをきたして川崎病を発症するもこともある。同時に、接種率の高い日本や東アジア人の多くには新型コロナへのある種の免疫をもたらしているのではないか」

 そしてこう付け加えた。「実はごく最近、今では誰もが知っている新型コロナウイルス独特のスパイク(突起)の一部が、サイトカインストームを引き起こす『スーパー抗原』によく似ていることが分かったのです。うまくいけば新型コロナ感染症だけでなく、川崎病の病態解明にもつながるかもしれません」

 

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(米国立アレルギー感染症研究所提供)

▽ファクターXの効果、どこまで?

 森医師はこう分析している。「さまざまな報告から、ファクターXは、いくつかの要因の絶妙なブレンドにより、ある種の集団免疫を形成している可能性があると考えている。ただ新型コロナに対する免疫というわけではないので、相対的にリスクを下げているに過ぎない。生活習慣病などの基礎疾患を持つ人や高齢者で重症化リスクが高いのは、ヨーロッパも日本も同じなのではないか」

 先生の分析を基にすれば、マスクを着け三密を避けることができれば、日本では、冬に向け欧州のような劇的な感染拡大は起きにくいだろう。ただ、それは欧州より日本の対策や衛生面が優れているということではなく、いくつかの要因によるファクターXが防護してくれていることが大きいといえそうだ。

 地球環境の破壊や気候変動は、次なる病原ウイルス発生を加速させると警鐘が鳴らされている。この冬をしのげたとしても、油断することなく、今後に向けての感染症対策のノウハウ蓄積が必須だろう。