新型コロナウイルス感染症の再拡大で世界が揺れる中、来夏の東京パラリンピックで結成される難民選手団の団長に就任したイレアナ・ロドリゲスさん(35)が共同通信のインタビューにオンライン形式で応じた。自身もキューバから米国に難民として移った元パラリンピアンの競泳選手。普段は女性建築家の横顔も持ち、バリアフリー社会の実現を目指して障害者向けのアクセシブル(利用しやすい)なデザインの建物や街づくりにも情熱を傾ける。最大6選手で構成される予定の選手団は今後選定されるが「障害の有無や国籍の壁を越えて世界に希望を届ける象徴としてメダルを獲得してほしい」と高い目標を掲げた。 (共同通信=田村崇仁)
▽米国で新たな扉
―あなたのストーリーを教えてください。
キューバで生まれ、バレリーナを夢見た少女時代から先天性の脊髄損傷があり、13歳で車いす生活となりました。でも難民として2000年に15歳で母と訪れた米国マイアミで新たな扉が開かれたのです。母国語のスペイン語から英語での新たな生活に慣れるのは大変苦労しましたが、そこには多様性を尊重し、障害者でも平等にパラスポーツに取り組める環境がありました。
―その後の展開は。
21歳で競泳を始め、5年ほどで2012年ロンドン・パラリンピックに米国代表で出場しました。初の舞台で女子100メートル平泳ぎの決勝に進出した夢のような時間が今の原点です。家族も応援に駆け付け、全てが完璧な思い出です。
▽日本企業も支援
―団長としての目標は。
難民という境遇は自分も同じ経験をしてきました。団長の立場は身に余るほど光栄なことです。私よりもっと過酷な環境に身を置く選手も多くいるでしょう。どんなことでも選手をサポートし、喜怒哀楽を分かち合いたい。コロナ禍で練習もままならない厳しい環境の中、困難と闘うパラの難民選手団が夢のメダルを獲得できたら、こんな素晴らしいことはないですね。
―どんな競技の選手が候補になりますか。
まだ全てこれからで人数の構成や競技は決まっていません。日本企業のパナソニックやアシックスなど国際パラリンピック委員会(IPC)協賛社がウエアなどを支援し、一定の基準をクリアした選手の中からメンバーを選定します。
▽「パラの父」の遺産引き継ぐ
―コロナ再拡大の影響が選手選考にも出てきますか。
東京大会が延期になり、選手の練習環境はパラだけでなく、五輪の選手にも出ています。これは難民選手団だけの問題ではありません。同じ条件で公平に選考できるよう準備を進めていきます。
―東京大会へどんなメッセージを届けたいでしょうか。
「パラの父」と呼ばれるルートビヒ・グトマン医師はナチスのユダヤ人迫害を逃れ、ドイツから渡英して1948年に車いす患者のアーチェリー大会を創設しました。これがパラの起源となっています。彼のレガシー(遺産)は難民選手団にも引き継がれていると私は思います。世界の対立と分断が深まる中、このチームの美しさを見てほしい。世界各国に数千万人もいるとされる難民の希望を背負い、大きなメッセージを世界に届けてほしい。
▽リオ大会はスタッフで参加
―前回の2016年リオデジャネイロ大会はシリア出身の競泳選手とイラン出身の陸上選手が初めて難民選手として参加しました。
わたしはIPCのスタッフとして携わりました。競技者を離れ、パラリンピック運動の推進に貢献した体験は、今まで自分が気づかなかったことをたくさん教えてくれました。一つ一つのかけがえのない経験が今も財産となっています。東京大会の意義は、やはり人々が壁を越えて支え合う共生社会の実現でしょう。コロナ禍でも人はなぜスポーツをするのか。政治的な問題だけでなく、コロナで人々の生活や心が分断されていく中、難民選手団は困難な時代の団結と希望の象徴になれると信じています。
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パラリンピックの難民選手団 国際パラリンピック委員会(IPC)は国際オリンピック委員会(IOC)同様に、2016年のリオデジャネイロ大会で初めて難民選手の特別参加を認めた。シリア出身で右脚切断のイブラヒム・フセイン選手が競泳男子2種目に出場して予選敗退。イラン出身で脳性まひのシャハラッド・ナサジプール選手は陸上男子円盤投げで11位だった。東京五輪でも難民選手団が結成される予定で、10選手だったリオ五輪を上回る規模が見込まれている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと協力して支援事業を展開し、五輪はマラソン女子の元世界記録保持者テグラ・ロルーペさんが団長を務める。