吹き上がる炎、まるで竜 波佐見の陶芸家 長瀬さんの“夢の窯” 夜通し火をくべる「初窯」に密着

まき窯の前で笑顔を見せる長瀬さん(中央)ら「ながせ陶房」のメンバー=波佐見町中尾郷

 長崎県東彼波佐見町中尾郷の陶芸家、長瀬渉さん(43)が、自身の工房「ながせ陶房」の敷地内に手作りのまき窯を完成させた。その名も「倒炎転式まき窯ウロボロス」。一般的なまき窯より低コスト、短時間で焼成できるよう長年構想を温めていたという。夜通しまきをくべる初窯の作業を取材し、“夢の窯”の誕生に立ち会った。

■文化財をつくる
 1日午後、陶房は窯の完成を祝う人々でにぎわっていた。これから必要となるまき割りに精を出す人、地元で捕れたイノシシ汁を振る舞う人。ちょっとした祭り会場のようだ。「活気あるでしょう」。記者の肩をポンとたたいて、長瀬さんは胸を張った。

窯の完成を祝い、近隣の子どもたちにお菓子を配る長瀬さん(中央)ら

 「文化財をつくりたい」。3カ月前に建造中の窯を見に訪れた時、そう息巻いていた。「文化財ってつくるものだっけ」と面食らったが、長瀬さんはものづくりと同じくらい「場所づくり」にこだわってきた人だ。
 波佐見に移住したのは17年前。佐賀県有田町に絵付けを学びに来た妻の恵子さんについてきて、そのまま夫婦で住み着いた。ひょんなことから井石郷の古い製陶所跡の再生を任され、ボロボロの建物群を自力で改修。一帯を工房やギャラリー、カフェにした「西の原」は町内有数の観光エリアに成長した。その後は中尾郷の製陶所跡を買い取り、現在の「ながせ陶房」へと作り替えた。
 窯づくりは以前からの夢だった。「作品が時代を超えて価値を持つためには、物語や背景が必要」と考えていたからだ。全国にはそんなストーリー性を持つ「名窯」がいくつかあるそうだ。今年、コロナ禍の影響で個展やイベントが中止となり「今がチャンス」と思い立った。敷地内の廃屋を取り壊し、掘り起こしたれんがを再利用して半年間かけて完成させた。
 窯は上下2段構造。下の段でまきを燃やすと、炎が上の段の焼成室へとうねるように通り、煙突へと抜ける仕組み。ウロボロスとは自分の尾にかみついて円環状になった竜のことで、炎の動きや再生をイメージして名付けた。

■焼き物の町
 窯に作品を入れる作業が始まると、波佐見焼振興会の児玉盛介会長が顔を出した。煙突を見上げながら「こりゃやばいな」とぼやく。「煙突と建屋が近すぎる。燃えちまうよ」と容赦ないダメ出し。ベテランの言葉に少し不安になるが、長瀬さんは意に介さず「ありゃ本当は喜んでるんだよ」と笑っていた。確かにひっきりなしに訪れる見物人の顔はみんなどこか高揚して見える。「やはり焼き物の町なんだな」と独りごちた。
 午後7時に点火。窯の中や作品の水分を飛ばすため、夜明けまでじっくりと温度を上げるという。火の番は長瀬さんの友人、千賀基央さん(35)と塩川秀人さん(41)。千賀さんは神奈川県在住の大工で、6月から何度も波佐見町を訪れ、窯づくりを手伝った。塩川さんは町内在住の消防士。コンビニで買ってきたチーズやベーコンを火のそばで焼くなどかなり楽しんでいる。窯業関係者ではなくても、長瀬さんの仕事を面白がって手伝いにくる人も多い。

最初の夜はじっくり温度を上げる。火を囲むと自然とうち解けてくる

 パチパチと音を立てる炎をぼんやり見ていると、いつの間にか日付が変わっていた。明日も仕事があるので、慌てて帰宅した。

■竜がいた
 翌2日、仕事を終えて午後10時半ごろに再び訪れると窯内の温度計は728度を示していた。見物人も大勢いる。防火マスクを付けた長瀬さんが、どんどんまきをくべると温度は順調に上がり、日付をまたぐころには900度を超えた。
「あっ火柱」
 誰かが煙突を指さした。赤い炎が夜空を突くように上っていた。

窯の中をかき回す長瀬さん。離れていても汗をかくほどの熱さ

 午前1時10分。ついに窯の温度が千度を超えた。2メートルくらい離れていても顔が熱い。大きめのまきを投げ入れても、あっという間に燃えてしまう。普通は高温になるにつれ、温度が上がりにくくなるというが、順調に上昇している。長瀬さんは「ウロボロス優秀だね」と少しほっとした様子で言った。目標は1200度だ。
 窯全体から黒い煙が吹き出し、隙間から火の粉が舞う。煙突からの火柱も2メートル近くになった。ウロボロスの名前通り、生きた竜に見える。つい昨晩のんきにチーズやベーコンを焼いていた窯とはまるで別物だ。

 空が徐々に白み始めた午前5時57分。窯の温度が目標の1200度に達した。「上がるまでやろう」と長瀬さん。その場にいた全員で一心不乱にまきを運び、どんどん燃やす。午前8時にまきの投入口を鉄の扉で閉じ、焼成を終えた。あとは窯が冷えるまで待つ。火入れから37時間。窯の温度は最終的に1230度まで上がった。

■新しい歴史
 6日、窯開きをすると連絡があった。3日ぶりの窯は元の静かな姿に戻っていた。よく見るとあちこちにひびが入っている。「頑張ったんだな」とつい感情移入してしまった。
「コロナだからって残念な年にはしたくない。絶対特別な年にしてやろうって決めていた」。窯開きを見に来た人たちに長瀬さんがあいさつした。「みんなで集まって、汗かいて、笑い合う。これが作りたかったんだと思う。だから、この場所にいるみんな含めて俺の作品です」。思いが込み上げ、時折声を震わせたが、最後は冗談で締めくくった。「中の作品が崩れていたらみんなで笑いましょう」。

窯開きで焼き上がった作品を取り出す長瀬さん(右)

 焼成室のれんがを慎重に取り外す。「おっ焼けてる」。中をのぞき込み、長瀬さんが笑顔を見せた。一つずつれんがを取り除くと、作品たちの多くが壊れずに焼き上がっていた。「お疲れ様でした」と声を掛けると意外な言葉が返ってきた。「まだこれからだよ」。
 帰りに近くの国指定史跡「中尾上登窯跡」に立ち寄った。江戸時代、この場所に全長約160メートルの巨大な登り窯があり、日用食器を焼き続けた。今はひっそりしているが、かつては生きもののように炎と煙を吹き上げていたのだろう。「歴史」の一幕が鮮やかに目に浮かぶ気がした。令和時代に1人の陶芸家が生み出した窯も、遠い未来に「歴史」になっているのだろうか。
 「まだこれから」。ふと長瀬さんの言葉を思い出し、その意味に気づいた。波佐見町の新しい歴史は、始まったばかりだ。

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